やまけんの出張食い倒れ日記

山形vs福井 名物対決~赤カブの巻

 今月は出張月間なわけだが、その先々で様々な郷土食材を味わう機会に恵まれることになる。北海道帯広と札幌、そして遠く東京にて鱈の白子をいただいたのは先日だが、野菜でとなると中々興味深い。そして、今回ちょっと採り上げたいテーマが見つかってしまった。それは、山形県と福井県の双方で名物になっている「赤蕪(かぶ)」である。

 蕪という作物は、実はむちゃくちゃに種類が多い。店頭に出回っているのがいわゆる中玉から小玉の白いカブばかりなのであまり実感が湧かないかもしれないが、地方にいくと、その地元にしかない品種が多いのだ。中には、「ほんとにカブかぁ?」という形のものも多い。大根のように細長い形であったり、聖護院蕪のように巨大に丸い蕪も、実は各地にある。

 そうした蕪の中でも極めて面白いのが赤蕪だろう。スーパーで赤蕪の酢漬けを売っているのをみて、「着色してるんでしょう?」という人も多いのだが、赤蕪とは天然の紅色素を含んだ蕪である。漬けこむと赤い色素が滲み出て紫がかった深紅の美しい色合いになる。そしてなぜか風味も白い蕪よりも強いことが多い。そして、山形県と福井県には、それぞれが誇る郷土野菜としての赤蕪が存在するのだ。

 山形県で有名なのは、「温海(あつみ)かぶ」と「藤沢かぶ」という品種だ。どちらとも、焼畑で作られるそうだ。その辺、このWebに詳しい↓
http://www.slowfood-yamagata.jp/home/album/20031130.html

 今回は、山形の農業改良普及員さんである一戸女史が連れて行ってくれた、生産者グループがつくった加工食品を販売するイベントにて、「これは買っちゃダメ。あ、こっちが本物。」と教えていただきながら、「藤沢かぶ」をセレクトした。このように、まるで大根のような姿形の赤蕪なのである。

fujisawakabu-s.jpg

 対する福井県では、「河内(こうち)蕪」が有名なのであった。これは僕も知らなかったのだが、福井の農業改良普及員さんである土屋さんが、わざわざ手配して取り寄せてくださった。
 なんとこの蕪も焼畑農法で作られる。赤蕪は焼畑でつくると旨いのかなぁ 詳細はこのWebを参照のこと↓
http://info.pref.fukui.jp/nourin/syunfile/syun5/akakabu.html

 この河内蕪、やたらめったらに生産量が少なく、入手は難しいらしい。だから福井県外にはそれほど知られていないということか。土屋さんいわく、
「かなり硬くて、ボリボリと派手な音がします。」
とのこと。それは硬い物好きの俺好みなのであった。

 ご用意いただいたのは上記のWebに書いてある生産者さんの赤蕪漬けである。この飾らぬパッケージが秀逸である。

kouchi-kabu.jpg


さて この二つを食べ比べてみようではないか。

■外観
 外観、といっても漬物になっているものを刻んでしまうので、あまり意味は無いのだが、、、

 山形の藤沢蕪は大根に近い形であり、これを櫛形に切っていただくことにした。画像をみていただければおわかりのとおり、大根のような断面である。
fujisawakabu2-s.jpg

 福井の河内蕪は、形はオーソドックスな丸型らしい。今回の漬物は最初からカットされている。大きさを観ると小玉のものが使われているらしいが、本来的にはもう少し大きい玉が多いらしい。
kouchikabu2.jpg

 双方の画像を見ていただければおわかりのように、なぜか双方同じような色である。どちらも深紅というよりは少し紫の入った魅惑的な赤だ。

■食感
 山形の藤沢蕪は、形こそ大根だが、食感は当然ながら蕪である。ただししゃきしゃき感があり、通常の蕪のようなクニョッとした感覚は皆無。代表的な赤蕪の食感と言ってよいだろう。この食感が欲しくて、漬物を食べるのである。
 福井の河内蕪は、土屋さんがおっしゃるようにかなり歯ごたえがあった。それこそバリバリという感じの音で、蕪の細胞壁の強さが感じられる。

■食味
 食味と食感は連動しているのだろうか。藤沢蕪はとても柔らかい味と香りがする。対して河内蕪は非常にワイルド極まりない。辛味が一瞬鼻に抜ける感覚がある。モルツとドライ系ビールのような対比である。無論、味については漬け込み用の調味液に拠るところ大だから、一概には言えないのだが。


 というように食べ比べをするわけだが、、、どっちも旨いんである。素材感を活かし、調味液にはオーソドックスな甘酢のみを使用しているわけで、プレーンな味わいだ。
 どちらがどうのこうのというより、遠く離れた山形と福井で、赤蕪栽培にはなぜか焼畑というのが共通しているということが、非常に面白いではないか。

 そう思いながら、バリボリバリボリ 気づくと蕪4つ分くらい齧っていた俺を発見したのであった。