やまけんの出張食い倒れ日記

今年も、言うべきことは言わせてもらいます。不況を言い訳にして、またもや日本の食は悪い方向へ行こうとしている。日本政策研究センター「明日への選択」のインタビュー抄録を載せます。

ここ数年、中国を中心に諸外国のずさんな食品製造体制を騒ぎたて、「安心・安全」という言葉を踊らせてきていた日本の食が、また「安けりゃいいや」という方向に戻りつつあるのを実感する。

昨年11月の生鮮野菜の輸入量は4,4800tで、前年と比べて24%増えたそうだ。このペースでいけば、「開発輸入」という流れが本格的になった94年の輸入規模になるのではないかという観測もあるそうだ。(12月26日付け日本農業新聞「論説」より)

円高と不況によって、しばらくアレルギーのあった輸入野菜に対し、「そろそろ使おうか」という感覚の緩和があるように思う。それはまず家庭ではなく飲食店の業務用から始まる。彼らには表示義務がないからね。そして加工食品。いまや、家庭で料理を作る率がかなり下がっているから、外食・中食が輸入野菜を使い始めれば、国産はどこへやらということになるだろう。

「日本の食は安すぎる」という主張をしている僕に対して、最近いろんな人が「不況によって貧困率が上がり、食品をこれまで通りの水準で購入できない層が増えた今、そんなことを言っていいのか?」という趣旨で物言いをつけてくる。

腹が立つ。だいたい、僕にそんなことを言う人自身は、そこまで貧していないのにもかかわらず、生活防衛に躍起になっている。貴方はお金を使うべき立場なんじゃないですか?と言いたい。今の日本は、お金を持っている人までが全くお金を使わず、安いものを売っているところへ流れる。結果、外国で製品を造っている安売り産業ばかりにお金が集まり、日本の中で日本の素材で勝負しようとする製造業者や流通業者にお金が還流しない。そんな負のスパイラルに陥ってしまっているではないか。

ということをいちいち愚痴っても仕方がない。

昨年、日本政策研究センターという、民間の政策シンクタンクから依頼があって、機関誌に掲載する記事のインタビューを受けた。ちなみにここは主に自民党に対する政策アドバイスをしている。サイトを見ると、「小沢独裁を一日でも早く止めさせよ」とかなり過激な主張もある。断っておくが僕は、今回の選挙は民主に入れたが、自民党ひいきでも民主党ひいきでもない。食に関するよい政策をしてくれる政党に入れますよ。で、政策に少しでも主張を反映して欲しいと思ってインタビューを受けた。

今回それがブックレットになったそうだ。

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『明日への選択』編集部・編  
価格: 735円
http://www.seisaku-center.net/modules/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=100

で、インタビューの採録の依頼の際に、「原文をWebで公開していいですか?」と尋ね、OKをいただいたので、ちょっとずつブログ上に掲載してみたい。一から書くと本当に気力・体力を消耗するので、これはありがたい。ちなみに、Web掲載にあたり文章に大幅に手を入れたのでご容赦いただきたい。

ということでまずは導入編を。

(続きは下記↓をクリック)

 

「低価格志向」が農業を滅ぼす 「安い食品には何か裏がある」

「新鮮で、安全で、おいしい食品を、安い価格で」などとムシのいい話はどこにも存在しない。「必要なコストはきちんと負担する」という成熟した消費者にならない限り、食の安全も、食料自給率の向上も、農業再生もあり得ない。

山本謙治(農産物流通コンサルタント)

 

世界的な経済危機の煽りで景気が後退する中、消費者を呼び込もうと、小売・外食業界が食品の「値下げ合戦」に躍起になっている。消費者にとって有り難い話として受け止められているが、本当にそうなのだろうか。わが国の食料自給率や農業の立て直しということを考えてみた場合、手放しで歓迎というわけにはいかないのではないか――。

そんなことを考えつつ、農産物流通コンサルタントとして活躍されている山本謙治さんに取材を申し込んだ。山本さんはこれまで、それぞれの立場がまったく異なる農業、流通、販売の現場で仕事をしてきたユニークな経歴を持つ方。現在、本業の傍ら、人気ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」、『日本の「食」は安すぎる』(講談社+α新書)などで、日本の「食」の問題について、独自の立場から発言を続けている。

その山本さんに、食料自給率の向上、農業再生という視点から、消費者の在り方について聞いた。

■日本の食品は安すぎる

山本 日本の農業を立て直すとか、自給率を向上させるという時に、重要な問題がいくつかありますが、中でも食品の価格というのは最も重要なポイントです。ですから、マーケティング関係者や流通業界などに呼ばれたりすると、私はあえて「食の安全・安心を確保し、農業を復興させるためには、今の食品価格を少なくとも一・五倍、できれば二倍くらいに上げなければ無理です。そうすればみな一息ついて、佳いものを作りますよ」と言います。そうすると聴衆は「もっと違う結論はないの?」と、複雑そうな表情を見せます。

彼らが期待しているのはたぶん、テレビのドキュメント番組が巧妙に作りだした「生産者の様々な工夫や企業努力によって、良質な食材・食品を低価格で提供できた!」といった類の物語でしょう。しかし、そんなムシのいい話は、どこにも存在しないのです。

私がこんなことを言うのは、今の日本の食品価格は「架空の価格」であると考えているからです。そもそも食品の価格というのは、事業者がその食品を販売することで、手にした利益で自分が生活できる。また再生産もできる。それが適正価格であるはずです。

ところが、バブル崩壊後の九〇年代から、「開発輸入」というものが行われるようになって、安い輸入品が溢れるようになり、食べ物の値段に対するわれわれの感覚は狂ってきた。開発輸入とは、例えばスーパーや弁当業界が弁当を売るときに、国産の原料を使うと高くなるから、中国やタイ、ベトナムといったところから加工食材を輸入して、それで弁当を作って販売するということです。「二九八円弁当」とか「一〇〇円バーガー」といったものすごく安い食品が世の中に出回っているのはそういうカラクリがあるからです。これらの食品は、本来的には作りだし得ないものです。だから「架空の価格」。そういうと「グローバルな世界の中では、架空も何もないだろう」と経済人は言うでしょう。けれども食の問題は経済の観点だけでは割り切れないということは、ここしばらくの間に発生した沢山の事件からもわかるはずです。

さて、「架空の価格」が乱舞した時期が、あくまで過渡的なものだったら大した問題にならなかったでしょう。しかし、現実には外国から輸入した安い原料で作るということが常態化して「架空の価格」の時代が現在まで十五年も二十年も続いてしまっています。僕が怖いのは、この「架空の価格」時代に生まれたり、思春期を送っていた子供たちが、いまや社会に出始めて「食べ物は百円で買える」という感覚を当たり前に持っている。つまり、「架空の価格」を食べ物の「標準価格」だというふうに思い込んでいるわけです。だから、去年のように食料品の値上げが相次ぐと、「高い」というふうに感じてしまう。

しかし、本来の適正価格から言えば、今の日本の食品価格というのは決して高くはないし、むしろ「安すぎる」がゆえに様々な歪みを生じさせている、というのが私の基本的な考えなんです。

■「消費者が主役」で疲弊する日本

―― 消費者の食品の価格に対する感覚は狂っていると。

山本 はい。もちろん、私だって消費者ですから、商品が安く買えるに越したことはない。けれども、人は誰でも消費者であると同時に、なんらかの職業に就いており、生産者でもあるはずです。そこから言えば、モノの価格が安くなることは消費者としては好ましいけれども、生産者である身からすれば自分の作った商品が安く売られるのだから、無条件で喜んでもいられない、ということに気付くはずです。

もう一つ、日本の消費者の感覚を狂わせているものがあります。それは「消費者は社会の主役だ」という考え方、あるいは消費者は「弱者」「被害者」で「保護」されるべき存在だという考え方です。

そうした考え方が、一体いつ頃から出てきたのかということを考えてみると、先程の開発輸入が始まったのと同時期でしょうか。例えばアメリカのノードストロームという百貨店では、お客様にノーと言わないサービスを提供するという「ノードストローム伝説」というのも喧伝されていましたね。これこそ小売業の鏡だと。そのあたりから「お客様は神様だ」とか「顧客第一主義」とか「消費者主権」だとか、そういうことが前面に出てくるようになったような気がします。

言うまでもなく、企業側の姿勢として顧客を大切にするのは当然のことです。しかし、社会というのは消費者だけで成り立っているのではないのであって、消費者も、生産者も、メーカーも、流通業者も、すべて対等の立場であるというのが本来の在り方だと思うのです。ところが、今はあまりにも消費者にバランスが傾き過ぎている。誤解を恐れずにいえば、消費者をあまりにも尊重することで、却って不当に「増長」させてしまっているのではないでしょうか。

例えば、テレビショッピング業界にいる私の友人の話では、最近はいわゆる組織的クレーマーだけでなく、全く普通の人までがクレームをつけてきて、その商品なりメーカーなりを意図的に攻撃しようとする悪質なクレームがあると言っていました。

またスーパーで実際にあった話ですが、買い物をした消費者が「このぶどうの表面にふいている粉って農薬じゃないの? 分析してよ」と持って来た。八百屋だったら、「奥さん、大丈夫だよ」と一言でおしまいの話です。ところが、このスーパーは悪い噂が立つとチェーン全体に影響すると恐れたのでしょう、「分かりました」とその消費者の要求を唯々諾々と受け入れ、分析に回したという。なんでも、今ではその種のクレームが絶えないらしく、大手では「お客様相談」の名目で年間数千万円にものぼる予算をつけているそうです。こんなに消費者を甘やかしている国というのはないですよ。

ヨーロッパを旅行すると、こんなに消費者にヘイコラしていないですよね。例えばイタリアでは、昼間は飲食店も銀行も窓口が閉まっていることが多い。日曜日なんて店は開いてないし、バス停には時刻表もない。サービスがそんなものだと国民も分かっているから期待をしない。サービスをしている側も無理なことはしない。対照的に、日本ではコンビニを二十四時間営業させるために弁当会社は人を集めてフル稼働。かつては夜中に弁当なんて作っていなかったのに、みんな集団工みたいに夜中の二時、三時に運ばれてきて、黙々と弁当を作っている。しかも、そうやって作った弁当の一定量はあらかじめ売れ残ることを想定し、廃棄を前提として作られているのです。

要するに、消費者に本当にそういうニーズがあるかどうか分からないのにみんな先回りしてサービスを向上させているために、サービスを提供する側の人達にも、環境にも物凄く負荷をかけている。結局、この日本は誰のためだか分からないサービス向上のために国民みんなが疲弊している……。日本は思い切って、国全体のサービスレベルを意識的に少し落としてみるということを試してみるべきなのかも知れません。

(つづく)