やまけんの出張食い倒れ日記

近くの人が亡くなったという悲しい知らせと、遠く被災地で生きている人がいる嬉しい知らせ 二つ我にあり。

実は、地震が発生した翌日、つまり僕が大分から東京に戻った翌日に信じられない悲しい知らせが届いた。母からのメールで、中野に独りで住む叔父が亡くなったというのだ。僕の父は三人兄弟で、その末っ子の叔父が、一番先に亡くなってしまった。叔父は初めての甥である僕のことを可愛がってくれ、成人後もずっと子供を観るように僕のことを観てくれていた。人生初のPC(MacのQuadra650だ)を買ってくれたのもこの叔父だ。そのMacで書いた論文がヤンマーの懸賞論文の大賞になり、僕の人生が一気に開けた。そんな叔父を僕はちょっと疎ましく思ったりしていた時期もある。彼の感情表現が不器用だったからだ。けれどもいま、猛烈に悲しい。祖父や祖母のように入院した状態でのものではなく、急性で逝ってしまったため、この死は全く予期できるものではなかった。さすがにこたえた。実感がずーっとわかなかったけれども、妹が泣きながら電話をしてきて、「入院していたら側にいてあげられたのに。独りで死んでしまって可哀想で」というのをきいて、僕ももうダメになってしまった。今回の地震のショックがあったのかどうかはわからないが、とにかくそんなこともあって、ここ数日僕の心は乱れっぱなしだ。本日、葬式だったのだが、僕は隠岐の島に出張に行っていたため列席できず。ごめんね叔父さん、と思う。

そんな中、被災地で安否がわからなかった人たちが生きているという情報が続々と入ってきた。陸前高田の、広田湾の牡蛎でとりあげさせていただいた佐藤一男さん。

そして、八木澤商店の河野社長に連れて行っていただいた千田さん

無事でおられるとのことだった。本当によかった。

生と死はごくごく身近にあるのだということを、今回の震災ではつよく現前させられた。一日一日をきちんとまっとうに生きるしか、自分にできることはないのだとも思った。

とりあえずこの連休は、埼玉で不安にあえぐ家族を大阪に連れて来て、少しだけでも慰安の時間を持とうと思う。来週は、幸いなことに倒壊していない事務所を復旧する予定。