(その1より続く)
ところで根本的に、「農薬を使わないと農産物は収穫できないの?」という問いかけがあるだろう。僕の結論を言わせてもらうとこうなる。
「農薬を使わない農産物生産は可能だが、農薬を使用するよりもコストがかかる。」
どんな農家でも、喜んで農薬を使っているわけではないのだ。だって農薬を散布するのは農家自身だ。毒を浴びているのだ。僕の友人の農家、とくに花の生産農家は、ハウスのような密閉空間で農薬を散布し、頭がくらくらして倒れた経験を持つ人が多い。消費者の口に入る際には毒性が消えていても、散布している人は確実に毒に被爆しているのだ。それでも使うのは、生産者にとってみれば農業はビジネスだからだ。生産効率と品質のかねあいの中で、農薬を使うシステムが構築されてきたのが日本農業だ。その背景には、生産効率だけではなく、安いものを求める消費ニーズがあることも忘れてはならない。みな、責任を負っているのだ。
長々と農薬とその無理解について説明をしたが、とどのつまり僕は、農薬について自分で勉強もせずに、とにかく安全安心を求める人たちが少々腹立たしいのだ。何も知らずに農薬を悪と決めつけて忌避する態度は僕には受け入れられない。農薬情報を公開して欲しいというが、判断する指標を自分の中に持っているのか?
「じゃあ、誰にでもわかるように残留農薬検査をして、その結果を公開して欲しい。」
了解した。ただし残留農薬検査をするには、一つの農薬を分析するのに2万円程度かかる。例えば15種類の農薬残留検査を行うと、30万円かかることになる。この金額は販売する際に上乗せることになるが、いいのだろうか?それともそのコスト分は提供する側が泣け、といえるのだろうか?また、皆さんが求める安心性を担保するために、どれくらいの厳密度で分析すればいいのだろう?つまり、一枚の畑の作物のうちどれくらいを分析にかければよいのか?分析に回したサンプルは食べることはできないわけだから、分析したもの以外を食べていただくことになるのだ。それでも安心していただけるのですか、、、?
このように、分析にも情報公開にもコストがかかる。コストを負担しているのは現状、生産・流通業者だ。
では、そのコストに見合う価格で買われているか?しつこいようだが買われていない。だから今、この国の第一次産業は喘いでいる。よく農林水産業への補助金が問題になる。農業者に手厚く補助しすぎではないか、ということだ。では補助金をカットしたらどうなるだろうか?かなりの農業者がやっていけなくなり、離農するだろう。そして、前回も書いたように、日本から食べ物がなくなっていくのだ。
それがいやならば、自分が求める安全・安心の度合いを見極め、それに見合った食べ物を、いくらで買いたいのかを試算してみてほしい。そして、店頭にいって、欲しい商材があるかどうか。情報公開の度合いがどうか。自分がそれに安心するか、そして価格的にその安心性とのバランスがとれているかを見て欲しい。価格や情報公開度、安心度が自分のニーズにマッチしていなかったら、どこに問題があるのかを考えて欲しい。その上で不満があるのであれば、それを堂々と述べるべきだ。そこまでされたら、生産・流通業者も謹んで、本気で対応させていただくと言うだろう。僕でも「そういうニーズであれば、こういう生産者や流通団体が居て、どれくらいの価格でどういうものを提供できる」とアドバイスは可能だ。とにかく自分が何を食べるかを決めるのは自分自身だ。口に入れるか入れないかという指標は、自分で決めて欲しい。農薬がかかっているのが絶対にいやだという人は、有機栽培農産物や特別栽培農産物を購入すればよいのだ。それらは農薬使用の農産物より高いことが多いが、農薬を使わないことにより手間がかかっているのだから当たり前の話だ。
さて最後に、農薬に対する僕のスタンスを表明しよう。ここまで書いてきた内容からするとびっくりされるかもしれないが、、、
僕は大学・大学院の6年間で50品目程度の野菜を作ってきたが、農薬を使用したことは一度もない(僕の畑をみていた用務員さんが虫害を心配して勝手に殺虫剤をかけてしまったことはある)。そしてこれからも農薬を使用するつもりはない。僕が農業に初めて出会い、傾倒するきっかけとなった農園が、最初から無化学肥料・無農薬の農業を行っていたからだ。使わなくても野菜を育てることができる環境にいる限りは使わない。だって毒だもん。毒を浴びるのはいやだ。自分のことと、いずれ自分の子供ができた時のことを考えてしまう。
ただし、環境要因で害虫発生度が高かったり、この作物を収穫できなければ飢え死にする、、、と言う場合は、躊躇無く使うだろう。生きるためだからだ。もちろん飢える心配がないのであれば、作物が全滅しようとなんだろうと使う気はない。
ちなみに世の中には訳知り顔で「農薬を使わずに農業なんてできない」という輩がいるが、それこそ無理解というものだ。農薬や化学肥料がこれほど使用されるようになったのは大戦後の話だ。ほんの100年前までは、化学合成農薬など使われていなかったのだ。農薬を使わなくても生産はできる。くどいようだが生産効率が落ちるだけだ。このように化学合成農薬や化学肥料を可能な限り使用しないというポリシーを持った生産者や流通業者もたくさんいらっしゃるし、僕の仕事で関わりを持つ多数はそういう人たちだ。
ただし「農業」という言葉は、「農」を「業(なりわい」とするという意味だ。生きるための原資を得ることができなければ業ではない。今の流通システムでは、圧倒的に農薬を使った農産物しか「売れない」ようになっている。その辺はまたいずれ述べるが、だから使わざるを得ない側面を、僕は否定できないのだ。
では僕は農薬を使った農産物を口にしないか、というと、全くそんなことはない。生産者さんからいただく野菜も食べれば、スーパー、八百屋で普通に野菜を買っている。それは「安全だと思うから」ではない。前にも書いたが、食物が安全かどうかは究極的にはわからない。体質や摂取環境により条件が変わるからだ。そんなことより、安全を担保するのは、最終的には食品を食べる人間自身の「健康力」の問題だと思うからなのだ。人間の身体には、毒を排出するあるいは無毒化するシステムが備わっていると考える。自分なりにその能力に磨きをかけるしかない、と僕は思っている。そのための努力はしているつもりだ。この考え方を他人にも押しつけるつもりはない。あくまで僕はそう自分に課しているというだけのことだ。だから、勝手ながらこの考えについての批判はいっさい受けないつもりだ。
それに、、、農薬を使っていようがなんだろうが、食べ物はありがたいものだ。美味しくなくても、ありがたいものだ。僕は他方で、出張食い倒れ日記などという、食べ物に対して無礼千万なblogを書いてはいるが、それでもまずい食事をした時、それを出した店を恨みはするが、食べ物を恨みはしない。どんなにまずくても僕はご飯を残すことはない。それをやったらバチが当たると思う。
、、、ということを書いて、一時間半が経った。6時20分発の新幹線に乗って、現在朝の8時。広島つけ麺の夢を見ながら眠ることとしたい。
とある仕事で消費者に対するアンケート調査を実施した。僕の現在の専門である、食品のトレーサビリティに関する意識調査だ。質問項目の軸となすのは、
「トレーサビリティシステムの中で、どのような情報が公開されることが望ましいか」
ということだ。そして消費者の回答は、集計するまでもなく大筋がわかる。7割以上が「農薬情報」を答えるのだ。果たして今回もその通りだった。青果物の安全性という問題に対して、消費者の関心はほとんどが農薬に集中する。この傾向は10年以上前から同じである。「関心のある情報」を問うと、例外なく農薬という答えが返ってくるのだ。
ただ、農業生産・流通業界からみると、いささかこの傾向には首をかしげたくなることもある。農薬の危険性と安全性は、非常に複雑な問題だ。大多数の消費者はそれをあまり理解していないと思うのだが、それなのに「農薬の情報を公開して欲しい」というのはなぜなのだろうかと言うわけだ。
僕の職業的私見としては、消費者が知りたいのは「農薬に関する情報」という漠たるものではなく「残留農薬の危険性があるかどうか」だと思う。2年半ほど前から、無登録農薬問題の事件などもあって、農薬の使用情報を公開する事例が増えている。その中には、使用した農薬の散布歴や希釈倍率まで出しているところもあるわけだが、20回くらい農薬をかけているリストをみてギョッとする消費者も多いという、笑えない話がある。この辺について、正しい理解をして欲しいこともあり、農薬の問題について少々書いてみたい。
まずこの国のシステムとして、農薬は全て国によって認可・登録されなければ販売することも使用することもできない。その認可の内容の多くを占めるのが毒性の試験だ。農薬とは「薬」と書くものの、その実態は「毒」である。そして、その毒が何に対してどれくらい効くのかというのが「毒性」である。毒にもいろいろあって、殺虫剤、殺菌剤、除草剤、土壌消毒剤などがある。実はこれらは成分も目的も、そして強さも全く違うものなのだ。この毒性を評価するために、とてつもなく厳密に(と僕には見える)様々な試験が課される。その毒性評価試験の方法は、政府外郭団体のWebに掲載されているものを一度プリントアウトしようと試みたことがあるのだが、600枚くらいのボリュームがあることがわかり、断念したことがある。ちなみにこの試験の費用はその農薬を登録する企業が持たなければならないのだが、だいたい一つの農薬を世に送り出すのに1億円程度はかかると言われている。
農薬として認可される際、農薬取締法という法律によって、使用基準が定められる。ここでは主に使用回数と希釈倍率、そして収穫の何日前まで使用していいか、が規定される。つまり、この基準に従って利用すれば、この国で登録・認可されている農薬は危険性はないと判断されているわけだ。まず、この点が農薬についての第一のポイントだ。
では、その判断の基になっているのはどういうものだろうか、専門用語を使わずに説明するが、まず人間がその成分(毒)を摂取した時に、影響が出ないとされる値というものが求められる。これはラットや魚などの生命をいただきながら実験を重ね、試算された値だ。この値を、さらに安全性を高めるために100分の1にした値が、「人間が一日あたり摂取しても問題ないとされる値」となる。先の農薬登録時の試験では、作物が人間の口に入るタイミングでこの値を下回ることが要求されるのである。そこで、「その農薬をかけてよい回数」と「かけてよい濃度」が決まる。これが第二のポイントだ。
さてこのようにして登録・認可された農薬を買った農家は、その基準を守っていれば「安全です」と言って良いことになっている。そう、この国のシステムでは、上記手続きを踏んでいる限りにおいては農薬を「安全なもの」としているのである。ここで多くの消費者意識との相違が出てくる。消費者からみれば、どんな農薬も使って欲しくないと思っている。農薬イコール悪、ということだ。しかし、国の判断としては、基準に合致している限り悪ではない、と言っている。このギャップが、農薬に関する問題がいつまでも尾を引きずる原因だと思う。
もう一つ農薬の使用について難しいのは、作物というのはすべて栽培方法や期間が違うということだ。例えばほうれん草は種をまいてから1ヶ月足らずで収穫できるが、きゅうりは3ヶ月以上植えて収穫を続ける。当然、トータルで使用する農薬の量は変わる。しかし農薬の使用歴を表示することになると「ほうれん草は2回、きゅうりは15回。ほうれん草のほうが安全なんじゃない?」と理解してしまう消費者の方が圧倒的に多いのが事実なのだ。米なんぞは春に田植えをして秋に収穫する。回数が多くなっても仕方がない側面があるのだ。
(続く)
浅田農産会長夫妻の自害のニュースは、香川県でラジオから聴いた。一瞬絶句したが、確かにそうせざるを得ない状況に追い込まれていたのだろう、と思う。しかし無惨だ。感染の隠蔽は確かに悪と言えるが、もし私や貴方が、莫大な負債を抱えたままで、収入の途を一切手放さざるを得ないという決断をすることができるだろうか?僕にもできないような気がする。
だから、浅田農産問題は、社会的には責任の深い事件ではあるが、しかし人間としてはあまりにも無惨な事件であった。
さて 気の早い消費者はすでに鶏肉の買い控えなどに走っているらしいが、。誠に愚かなことである
インフルエンザウイルスは加熱すれば死滅する。つまり鶏を刺し身にするのでなければ、問題はないはずだ。調理段階で生肉を触ることについては、獣医さんにいろいろと訊いてみよう。 、、、ただし、この前提は健康なひとであれば大丈夫、ということになるのかな。 免疫力が低下している人などはようわからん。
今後問題になるのは、人間自体の免疫力の低下についてではないか。抗菌性なんとかという商品群が示すように、ここしばらく人間が本来持っている免疫や菌との共存性を人為的に破壊するようなモノが多い。菌なんてものは人間より歴史が古く、そこかしこに偏在するのである。それこそ八百万の神と同じくらいに、、、本来的に人間が持つホメオスタシスでは、そうした菌類と共存しながらうまくやっていくように調整されていたはずだ。それなのに、ある種の菌類をやみくもに除去するようなことをやっていると、均衡を保っていた菌類の勢力図が大きく変わってしまう。
これは農業でも同じで、同じ作物を一つの土地で作り続けていると、「厭地(いやち)」といって、菌類やミネラル類が偏ってしまう。その結果、作物を作りにくくなる。だから、基本的に農業において連作をするというのは御法度だ。欧米では土地面積が広いので、循環的に作付けを交代しながら土地を休ませ休ませ利用している。日本ではというと、土地が小さいため、同じ土地に同じ作物を作り続けることが多い。では厭地をどのように回避しているのかというと、、、 土壌消毒という行為で、土壌中の菌類をすべて死滅させ、まっさらにして作付けするということが多い。ダニアースみたいに地中にノズルを差し入れ、薬剤を噴射するのである。消毒と呼ぶが、あきらかに「噴毒」だな。今まではこれに臭化メチルという農薬が使われていたが、これはあまりに土壌への影響力が大きいため、廃止になった。現在では、熱湯消毒(熱湯を浸透させ、菌類を死滅させる)や太陽光消毒などの代替技術ができてきた。
しかし、これも結局は「沢山の菌類との共生バランスを保つのが難しいから、いっそのことゼロにしてしまう」という恐ろしい発想ではないかと思ってしまうのだ。なので、僕も小さな畑を創っていたが、土壌消毒は一度もしたことがない。というか、農薬自体使ったことがない。
まあしかしこれは日本農業の状況からは難しい問題なのでこのへんで終了。
とにかく菌やその他を遠ざけるという発想で、かつ「よくわからないけど危険そうな食品は買わない」という安易な途に流れないで欲しいと思う。日本人はきちんと考えて向き合うべきだ。
僕の静岡県における旨い物の導師である中小家畜試験場の獣医さんである岩澤氏からこんな話をいただいた。
「知ってるかい? 家畜の経済性(卵の数、肉量等)は免疫力(インフルエンザにかかるかどうか等)に反比例するって事を。
つまり5%経済性が上がると、5%免疫力が落ちる事を、、、皆、知らないんだよね。今回の発生は経済性を追った結果と私は考えている。
で、日本古来の鶏は非常に免疫力が高いのだ。だから病気には強い。今後、地鶏については、このあたりをもっと理解して貰う必要があるんだな。」
なるほど!経済性と免疫力反比例はまったくそうだと思う。で、免疫力が高い地鶏と低いブロイラーの違いは?
それは血統もあるだろうけど、加えてエサと飼い方。カロリーが高すぎないエサを与え、適度に運動させる。それでいいのだ。間違っても外界と遮断した閉鎖系にはしない。無菌状態は、それが続く限りに置いては安全だけど、なんらかのアクシデント時にはそこにいた個体はすべて全滅する危険性がある。
人間も、自分の健康能力を高めることで自衛するのが本道だろう。鶏が「エサと飼い方」なら、人間は「食事と生活習慣」であろう。