俺と畑とインターネット
http://www.yamaken.org/mt/oreto/
IT・インターネットと農業の危険で魅惑的な関係を、、、
en-us
2005-02-21T02:14:33+00:00
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長島農園からの手紙 ヨーロッパの市場
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000651.html
ヤマケン、ヨーロッパイタリアシチリアの旅お疲れ様です。なんか、その後の方が大変みたいですけど・・・! ヤマケンのサイトを読んで懐かしくもあり、やっぱりヨーロッパって良いなと思ってしまったので書きます。 私はカミさんがドイツ人ですし、ドイツに一年以上も滞在して実際にマーケットで販売していた経験があります。ドイツの何がそんなに良いのかと言えば、しっかりと生産者と消費者が信頼関係でつながっていると言うことです。これには正直ショックでした。 我が家も結構昔から直売などを通して消費者との交流がありますが、その土地や商店などに脈々とつながっているものが違います。たぶん、日本でも京都などでは料亭や個々家庭などで特定の農家の野菜を何百年に渡って使い続けているところもあると思いますが、そのつながりがヨーロッパではたいてい何処の町にでもあります。これには宗教的な背景もあるのだと思います。 町の中心には必ず教会があり、その広場では毎日のように新鮮な野菜を持ち寄ってその地域の農家が、いわゆる自分とその教会を共有する檀家に野菜を売るという構図がヨーロッパのキリスト教圏にはできあがっています。 その中でお互いの野菜を競い合ってきた農家達は畑に対しての気持ちも相当なものです。 良く、ワインなどで「何処何処の畑で取れた最高級のワインです。」なんてロマネコンティなど言われますが、野菜も同じで個々の農家は自分の持つ畑の良い所をのばしてやるために、ここの畑ではコールラビが良いだとか、ここの畑では人参が良いとかしっかりと口伝または野帳で伝えています。それによってマーケットの売り場も何処の農家の人参が美味しいとか、しのぎを削っているのです。 私がいた農家も人参とディルだけは他の農家から買ってました。こんな工夫をしているとやっぱり野菜の味はあがってくると思います。 タネにしても、規格や形の奇麗な物から、味の良い物(これは日本でもだいぶ変わってきて直売用、家庭菜園用などの種が出回ってきた)が育種されたり、使用目的が限定された育種がされたりしています。 しかし、野菜の消費量では日本の方が多い。それなのに、日本人が美味い野菜を食べているかは疑問が多いところです。これだけ言うと「おまえはヨーロッパびいきか?」なんて言われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。 戦前の日本は本当は美味しい地域の野菜をどこの家庭でも食べていたんだと思います。そんな古き良き日本がこの現代において良い形で再現できればいいなと考えています。...
農家との対話
yamaken
2005-02-21T02:14:33+00:00
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身体を強める方法はいくつもある。そしてヨガというのもその一つ。
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000652.html
僕が以前、 「身体に入ってくる農薬などの化学物質をできるだけ減らすというのは重要だけど、それ以上に身体の自己治癒能力を高めて、そうした毒素に対抗できるようにする方法を持つことも重要だ」 というようなことを書いたのだが、数人から「どういう方法で、自己治癒能力を高めるってことができるの?」という質問を受けていた。この問題は非常に難しい。医学に対する考え方をここで議論するつもりはないので、あくまでも僕のスタイルということで書いておきたい。 僕は基本的に薬を飲まない。外科的な傷を負ったりした場合は別だが、内科的な症状で薬を飲むことがほとんど無い。よく薬をいただいてしまうことがあるのだが、飲むフリをして飲んでいないというのが実情だ(笑) なぜかというと、発熱や頭痛といった作用は、身体のなかにあるなんらかの問題が、そのわだかまりを熱や痛みという形で発散させようとしているものだと捉えるのが自然だと思うからだ。従って僕の場合、「熱が引くまでひたすら寝る」とか「ジッと痛みをみつめる」とかいう方法をとる。ていうか何もしないということだ。 そう、僕は東洋的な医学感、身体感に共感している。ただし東洋医学万能とは全く思っていなくて、西洋近代医学の功績はとてつもなく大きいし、その恩恵ははかりしれない。要するに、一つの概念で説明しきれないものもある、西洋医学と東洋医学の関係も同じことと思っている。 で、重要なのは「如何に治すか」ということよりも、「如何に強くするか」の方だと思っている。僕は週に数回、近所のジムでウェイトトレーニングをしている。筋肉を鍛えて、基礎代謝量を上げて、カロリー消費をできるだけ効率よくする身体にすることで、よりおおく食べようと思っているわけだ(笑) しかしウェイトトレーニングをしても効果的には鍛えられないものがあると思っている。それは身体の内側の部分だ。胃腸の調子が優れない時にウェイトをしてもあまり意味がない(ことが多い)。そうした身体の内的な部分を鍛え、清浄できるものはないだろうか、と思っていた。 そうした方法はいろいろあるようだ。太極拳とか気功とか、アーユルヴェーダとか、とにかくセラピー好きな今の時代、身の回りに色んな情報が溢れているだろう。 で、僕は大学時代からヨガをしている。就職してから数年は辞めていたのだけど、昨年仕事で独立したのを機に、自己管理の一つとしてまた始めた。ぼくの通っているヨガ教室は、ハリウッドヨガとかパワーヨガとかとは比べものにならないハードなもので、終わると汗ダクダクである。しかし、得るものは計り知れない。 なんでヨガなのかというと、これは「自分で自分を治していく」方法だからだ。「人に施術してもらうもの」は、自分には手に負えない症状の時は良いけど、その原因である生活スタイルを変えるものではないから、結局は人に依存し続けてしまう可能性がある。けど、自分で自分を治していく手法であれば、自立が開けている。ま、そんなことだ。 さて 前置きが長くなったけど、宣伝。僕が通っているヨガ教室主催で、インドのビハールにある国際的なヨガ学校の、とってもレベルの高い先生がセミナーをしてくれる。しかもインド大使館後援というお墨付き! ■ヨーガの奥義 プラーナヴィージャ その理論と実践 4月16/17 http://www5.plala.or.jp/ShantiPath/new.htm くわしくはこちら。 http://www5.plala.or.jp/ShantiPath/new_2.htm 基本的にはヨガをやったことがある人向けの内容。あと50人くらいしか席が空いてないみたい。もちろん僕も参加。ご関心のある方はどーぞ。...
食の安全
yamaken
2005-02-21T01:23:13+00:00
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長島農園からの手紙 自己紹介編
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000569.html
長島農園の勝美君から、毎度のことながら大量の野菜とメールが届いた。まずは観て頂こう。 ------------------------------------------------------------ ヤマケンとの対話をしていく中でまず、私なりにながしま農園の成り立ちを説明させて下さい。 ながしま農園は口伝では今から約800年ぐらい前の鎌倉時代に、ここ三浦半島の北下浦地区に定着したようで前の藁葺きの家は築250年はかるく経っていたようです。 ながしま農園が現在の栽培形態を取ったのは昭和40年頃からです。戦前はこの地域で一番の石高のある稲作農家で、三浦半島で唯一文献として残っている二期作をした農家とされています。 その後の日本の高度成長期に伴って日本人の食文化が変化し、農業の生産性が向上することで農業がだんだんと成り立ちにくくなり、石高の多い稲作農家ほどきつい減反を迫られるようになりました。 初めの頃は米から転作した畑で自給野菜を生産し、その余剰分を直売などで販売するという、ごく小規模の野菜農家だったのです。それがだんだんと減反する畑が増えて、今のように年間を通して約120品目に及ぶ野菜や加工品を作る農家になりました。 ながしま農園は正に少量他品目、何故この様な能率の悪い生産形態になるかというとそれは一言で「自分で食べたいから」なのです。 ここでのポイントはやはり「食卓をイメージして畑に作付けする」ということです。ながしま農園の畑は、大きなテーブルのようにいろいろな野菜達が並んでいます。常に気をつけているのは、バランスと組み合わせ。自分の家の食卓に上る野菜の頻度を考えて作付けをし、前回に何を植えたかでその野菜の後に植える相性の良い野菜をジグソーパズルのように埋めていくという作型です。 でもやっぱり芽が出てきた頃には その野菜で何を料理しようか想像をしている自分がいるのです。 これは、農家にとっては実は逆転の発想と言えるかも知れません。つまり、本物のボルシチが食べたいと思うと、ふつう日本では手に入らない野菜(たとえばビーツなど)を作ってしまうわけです。 ながしま農園はこんな農園です。まずは自己紹介として。 ※下線、強調はやまけんによります。 ------------------------------------------------------------ このメールとともに白菜2玉が送られてきた。色々考えた末、漬け物にすることにした。 白菜を4つ割りにして、重量の3%の塩を葉の間に振り、ニンニク片と昆布、鷹の爪を挟む。容器と重しをどうしようか苦慮したが、白菜自体はゴミ袋に入れて、それをデカ寸胴に仕込み、上から一回り小さい寸胴に水を満たして重しとした。 正月前に乳酸発酵するだろう。楽しみだ、、、 冬、これから彼の農場は静かな季節を迎える。時間もできるだろうから、農場の四季についてあますところなく語ってもらおうではないか。本編、シリーズ化する。...
農家との対話
yamaken
2004-12-20T03:16:57+00:00
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新農政研究所 元理事長 松浦龍雄氏を悼む
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000497.html
僕が学生の頃に、後輩の子が「お父さんも農業関連の仕事なんです」と言って、引き合わせてくれたことがある。それが、財団法人 新農政研究所 の理事長を務めていた松浦氏であった。 その松浦さんがお亡くなりになった。謹んでご冥福を祈りたい。 当時、慶應義塾のキャンパスに畑を拓き、インターネットの普及で農業生産にも変化を、と言っていた僕に対し、お会いした松浦氏は骨太な農業論をガツンとぶつけて頂いた。たしか江ノ島花火大会の日、江ノ島のボートにて酒盛りをしているところに、僕も同席させて頂いたのだ。その後、江ノ島から茅ヶ崎のご自宅まで延々と海岸を歩き(僕の後輩である娘が乗り物に極端に弱いということだった)、家でしばらく歓談。その際に農産物の先物取引の話を熱心にしておられた。 「穀物だけではなく、農産物全般の先物取引が必要だ。これやるから読んどけ」 いただいた小冊子は彼の手によるものだが、当時まったく理解できない代物であった。いや今でもようわからん。しかし、俺なんかがわめいているような茫洋とした農業希望論ではなく、明確に産業としての成り立ちを下支えするためのスキームについての話なんだなぁと、恐れおののいた記憶が残っている。 その後、僕は勝手気ままに活動するのみ。一度、ヤンマーの学生論文コンクールに優勝した際に、報告にお会いしにいったことがある。その時は、僕が作っていたホウレンソウを持っていくと伝えたのだが、いざ畑にいくと、かなりでかくなりすぎていて不格好なので急遽とりやめ、菓子折なんぞを持っていった。すると 「なんだバカやロー慶應の学生が作ったホウレンソウが来ると思って楽しみにしてたのに!」 とひどく怒られた。後に奥さんが、「ほんとに朝から楽しみにしてたのよ」と言われ、うーんそうだったかと反省した記憶が生暖かく残っている。 当時は松浦さんのすごさを理解できないでいたが、今から考えるととてつもない人であった。農業の世界で、テレビなどに出てくる人は、ほとんどが生産者だ。しかし、生産者がいて流通業者がいて販売業者がいて、その他に政策を決める官僚がいて、農林水産分野を得意とする代議士がいる。そして、学術的な見地から政策への提言をする学者がいて、松浦さんのように積極的な働きかけをする、半官半民の立場の研究者がいるのだ。 松浦さんの娘が僕の後輩なのだが、なんの縁やら、その娘の兄が、僕の大学院の同期である。彼は当時すでに社会人で、日経BP社の記者であった。今はフリーライターで、宇宙開発・ロケットの論客としては日本を代表する一人だ。 その彼のblogに、父・松浦龍雄氏の一生期がある。 おくればせながらそれを読み、感銘を受けた。 こんな骨太な人生をおくる人が、これから出てくるだろうか。 ■松浦晋也さんのblog http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2004/10/post.html 関心のある方はぜひ。 来週、松浦さんと呑む。親父さんを悼みつつ、呑むことにする。...
農業の明日
yamaken
2004-10-22T11:18:37+00:00
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来たぞ台風 そして前代未聞の高相場
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000493.html
恐ろしい状況になった。 大田市場の某卸会社の相場で、とうとうレタス1ケースに一万円が付いたらしい。主な結果は下記のとおりだ。ちなみに下記は卸値。ということは店頭価格はこれの4〜5割増くらいと考えた方がいい。 きゅうり 5Kg 7000円 → てことは小売価格が3本で600円くらいか。 レタス 16玉入り 10000円 →小売価格は1玉1000円前後? ホウレンソウ 1束200g 400円 →小売価格800円くらい? うーん ここんとここんな相場は観たことがない。 これを観て、多くの消費者が、「ものがないからって高値を付けて、大儲けしているだろうな」と思うだろう。でも違うのだ。いま、市場にも商品が入ってこないのだ。市場は、商品の取引をを仲介することで定率8.5%の手数料をもらうという商売だ。だから、いくら高相場であっても、モノがなければ何もならないのだ。 そして生産者だって、出荷できている産地はほんの一握りだ。誰かが甘い汁を吸っているといっても、そんなのは焼け石に水であり、マクロ的にみれば日本国内全体で野菜・果物は絶対的な供給不足になる。 おそらく台風一過後まで何もできないから、新しく種を蒔いても、12月後半から年明けにならないと、収穫は困難だ。 これを受けて、今までは中国産に見向きもしなかった業者までもが、輸入商社に買い注文を出している。農薬騒動で一方的に取引を切ったりしていたくせに、てのひらを返したようにすがりついてきた、と輸入業者の人が漏らしていた。 ん〜 なんて書いていたら、和歌山の流通業者であるにも同じようなこと津田ちゃんのblogが書いてある。 さっき近くの八百屋「八百周」で親父さんと立ち話をしてもこの会話。 さあ、この試練をどう見るかだ。...
農業の明日
yamaken
2004-10-20T13:09:33+00:00
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BSEに関して今、感じておくべきこと
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000458.html
こと農業という分野について、インターネット上で有用な情報を収集することはとても難しいのだが、日本語で書かれている資料という点ではさらに難易度が高まる。それも当然で、技術情報については、産地間での極秘事項であり、クローズドな場でしか公開され得ない。 ただ、政治的な側面の話となると事情はまた別である。僕が日頃、海外の農政関連の動きを参考にしているサイトが一つある。 ■農業情報研究所 http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/ 米国やEUの農政の動向を専門的な視点からレポートしてくれるこのサイトを、常に尊敬の念を持ってみてきた。長いこと、どういう人が運営をしているのかがわからなかったのだが、久しぶりに覗いてみたところ、お名前と、これまで何をしてきた人なのかが明記されるようになっていた。 トップページをみればわかることなのでここには書かないが、やはりそうだったかというお立場だった方だ。定年退職されたということで、今後ますます鋭い視点からの執筆を期待できるだろう。 このWebの中で比較的新しい記事に、以下のようなものがある。 ■米国産牛肉輸入再開の決定が迫る 懲りない人間たちにつける薬は?http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/bse/highlight/04091301.htm 最近、BSE問題に関する消費者の意識が沈静化してきたかのように「見える」が、事態は全く変わっていない。BSEを根絶するために必要なことは、不自然な牛肉生産の方法を是正すること以外にないはずだ。しかし、報道されている内容をみると、「BSEの疑いがある牛を出荷前に識別し、取り除くこと」に意識が注力されている。これをオカシイと思わないだろうか? 本来は、 「BSEが発生しない牛肉生産方法とは何かを明らかにし、それを普及すること」 が成されるべきではないか?しかし、そうした論はほとんど一般紙ではみられない。 そういえば本題とは離れるが、一般紙の農業問題に関するレベルの低さは一体どうしたものだろう。特定の企業や省庁、研究所がぶちあげた荒唐無稽な構想を、専門的な視点からの吟味を全く通すことなく一面に掲載する。一般人は「あの新聞に載るくらいだから」とそれを普遍化された情報と認識する。しかし我々業界内部の人間からみると、まったく箸にも棒にもひっかからない話だ、ということが多々ある。猛省を促したいが、僕ごときが言ってもゴマメの歯ぎしりだな。 さて BSEのような事態を生み出さない飼育環境とは、おそらくCodex基準としてまとめられつつるオーガニック畜産に近いものであろう。その内容についてはここでは詳述しないが、効率重視の大量生産を旨とした近代畜産とはかけ離れるものになる。つまり、ビジネスとしては効率性が悪いため、広範に採用されることは難しい。もし、消費者がそちらの方向性を支持したらやっかいだという意識も働いているのだろう。 僕は農産物を巡るビジネスをしている人間なので、効率重視の農業を完全に否定することはしない。しかし、自分が農業生産を行うのであれば、おそらくそれを採ることはないだろう。それは、選択性の世界だと思うからだ。 しかし、選択性の世界が存在するためには、選択肢がなければならないのは当たり前のことだ。牛肉に関しては、小売店頭では表示をみればどこの国のものかがあるていどわかるが、業務用つまり外食や弁当などについては、分かりようがない。そこには依然としてリスクが存在することを理解した上で、選択をするべきだ。 BSE問題はまだ終わっていないし、今後も消えることはないだろう。上記サイトにはかなり濃い情報が載っているので、参考にされると良いと思う。...
食の安全
yamaken
2004-09-20T05:12:05+00:00
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オーガニック検査員講習会に参加した
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000424.html
21,22,23の3日間、日本オーガニック検査員協会(JOIA)が主催する、講習会を受講してきた。ご存じと思うが、オーガニックつまり有機農産物と名乗って生産・販売する場合は、JAS法に定められた手続き、手順を踏んで認定を取得しなければならない。取得に際しては、第三者認証機関に申請をし、農場や施設の検査を受け、検査判定会議を経て認証を発行してもらうことになる。ここで農場の検査を行うのが検査員だ。検査員の仕事は、申請者の農場や施設、そして作業内容がオーガニック基準に沿っているかどうかを確認し、認証機関に報告するというものだ。検査員は、認証機関に属することもあるが、フリーで契約する場合もある。この検査員になる方法はいくつかあるのだが、JOIAの検査員講習会は、国内の検査業務の事実上のスタンダードであり、受けなければ始まらないといえるものだ。 実は、僕はオーガニック検査員になろうと積極的に思っているわけではなかった。農産物のトレーサビリティに関する知見を獲得するためというのが、一番のモチベーションであった。 僕が現在行っている、生産・流通のコンサルティングにおいて、トレーサビリティというテーマが占める割合は高い。現在はこのトレーサビリティに関する法律がないため、ISOシリーズのような外部認証が義務づけられているわけではないが、いずれそうなることが予想される。つまり生産者や流通業者が監査を受けて、自分達が行うトレーサビリティ対応業務が信頼性を確保しているということを証明する監査認証という仕組みができあがるということだ。この時に重要になるのが監査業務で、これを行うのが認証機関だ。認証機関は、申請者に対して検査員を派遣する。そう、この検査業務は、オーガニックの検査と相似していると思われるのだ。これが、今回講習会の参加動機の第一たるものである。 とはいえ、僕は昔からオーガニック農業の支持者であり、実際に大学時代の6年間つきあった畑は、完全に無農薬無化学肥料でやっていた。どうしたってオーガニックがよいということは、普通の消費者の観点からではなく、身体でわかっている。トレーサビリティの仕事が無くとも、いずれはこの検査員講習会は受けていたと思う。ともあれ、そういう2つの大きな動機が、僕を久しぶりの勉強の場に誘った。 ------------------------------------------------------------ 今回の講習会は農場コースで3日間のものだ。1日目は座学でオーガニックの検査業務について学ぶ。2日目は午後から農場に出て、監査の実習だ。そして3日目、まとめをした後にテストを行う。テストである水準以上に達しないと合格しない。また、テストをクリアしても、農場を監査したレポートを提出することになっており、そこで定められた基準をクリアしていなければ修了証はいただけないようになっている。 大学院を出てから久しぶりの勉強で、非常に緊張したのだが、実に楽しい経験だった。昼食と15分程度の休憩以外はぶっ続けで9時〜17時まで講義を受ける。今回は会場が恵泉女学園という女子大で、そこの学生さんも出席していた。面白かったのは、社会人の方が学生さん達よりも居眠りしてなかったことだろうか。まぁ、仕事に直結するわけだから、より緊張感をもっていたということか。僕も数回意識が飛んでしまったが、通常時より頻度は全然低い。周りの方々は、僕より年配の方も多かったが、非常に眼光鋭く受講していた。社会人として働き、問題意識を持っている人間というのは、勉強するとまだ伸びるもんなんだなぁ、と改めて感じたのであった。 最終日、テストを受けた。最後の設問までなんとか行ったが、100%にはほど遠い出来だった。何とかなるだろうか。実際にはこのテストに加えて農場監査の報告書を提出しなければならない。書かなければならないのだが、原稿締め切りが多数重なり合っていて、書いている時間がない。これが、食い倒れ日記更新ができていない理由だ。困った困った。 ちゃんと修了証をいただけたかどうかは、1ヶ月後くらいにわかる。受かっていたら報告しよう。落ちていたら、、、やけ酒に付き合って下さい。...
食の安全
yamaken
2004-08-25T10:58:51+00:00
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農業気象情報システムが新しい波を迎えようとしている!
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000416.html
最近、実に高度で面白い機械を手に入れてしまった。その名を、「ウェザーバケット」という。気象情報を収集するためのロボットだ。これまでも農業情報の世界では、こういった気象情報を計測し、蓄積するための装置の開発が色んな形でなされてきた。しかし、一人の農業者が自分の圃場(園地)に設置できるような安価な機械はほとんど無かった。あったとしても精度が低く、分析に足る環境計測を行えるような物ではなかったと言ってよい。 そこに、極めて気迫のこもったシステムが登場したのである。下記の画面を見て欲しい。 codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,0,0" WIDTH="128" HEIGHT="472" id="y_wb" ALIGN=""> TYPE="application/x-shockwave-flash" PLUGINSPAGE="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"> おわかりだろうか?Flashで動いているのだが、これは、東京都の木場にある僕の部屋のベランダに設置したバケットに採られている気象データが、リアルタイムに表示されている。これは、機能のほんの一部だ。 これがバケットだ。 このバケット、ソーラーパワーで自律動作する。そして、無線でそのデータをサーバマシンに送り込んでくれる。僕のWindows2000サーバは24時間稼働にしているのだが、そこにどんどんと気象情報が貯まるのだ。 これを、このバケットのメーカであるアグリウェザー社のサーバに送り込むと、このページに表示されているようなFlushの形式にして気象を配信してくれるのである。 どうだ? 面白いでしょう? (ちなみに、もし時刻が現在時でない場合は、サーバが止まってしまっている可能性が高い(笑)早速今、止まっているようだ、、、もう19時なのに14時のデータが表示されている、、、ゴメン、家に帰ったら再起動します) ------------------------------------------------------------ 「35万円で買える、気象情報システムを創ったんです。これを、トレーサビリティや、作物の生育分析に使えないかと思っているんですよぉ」 北海道・江別市の気象情報ベンチャー企業であるアグリウェザー社の横山社長の弁である。僕の本「実践農産物トレーサビリティ」を読んで、「会いたい」と東京に出てきて下さったのだ。 以前から気象情報システムには関心があった。しかし、とにかく高い!農家が自分の圃場における金額ではない。これが、バケットで実現できるようになったのだ。話を訊いて、かなり興奮した。 その数日後、横山社長から連絡があったのだ! ------------------------------------------------------------ 早速,「農耕と園芸」12月号を書店で求め,山本様の記事を読ませて戴きました.お話の中にありました”三浦半島にある友人の農場”の記述がございました. そこで,山本様の「いやー,ホンモノのバケットを見てみたいですねえ」というお言葉をふと思い出しました. ......山本様にウエザーバケットをご提供させて下さい. また,もしご迷惑でなければ,私も実験に参加させて戴けませんか? 個人農家のツールとしての気象解析ソフトをブラッシュアップさせる実験を,山本様のグループのご意見を聞きながら行ってみたいと思います. ------------------------------------------------------------ 端折っているのでわかりにくいだろうが、つまりバケットを一台、提供してくださるというのだ!35万円とはいえ安いとは言えない貴重な機械を、、、 ここから全ては始まった。横須賀にある長島農園の勝美君の農場に、今バケットが稼働している。そしてその後、僕の木場の部屋にもバケットを設置した。このシステムは無限の可能性を秘めている。しばらく、このバケットについて語りたい。 基本的に押さえるべき内容は、実は僕が連載を持っている「月刊JA」に書いた。その記事が、ネットで公開されている。これをぜひ読んで欲しい。PDFになっているので、ご留意を。 話は、それからだ。 農業気象システムの新しい波(1) http://www.zenchu-ja.org/JAnewHP/ja-zenchu/monthlyJA/PDF/0407p38.pdf 農業気象システムの新しい波(2) http://www.zenchu-ja.org/JAnewHP/ja-zenchu/monthlyJA/PDF/0408p43.pdf...
yamaken
2004-08-18T09:58:29+00:00
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新潟県の集中豪雨により、、、
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000391.html
先日、新潟と福井で集中豪雨があったのはご存じだろう。被害総額は400億円に達する見込みだ。(参照:農林水産省) この数字を分解すると、今年度作付けをしていた米や野菜などの作物被害はもちろんなのだが、同時にそれらを生産するための設備(施設・農機)も含んでいる。実は一般の人にはピンと来ないかも知れないが、こちらの方がダメージが大きい。というより、決定的・深刻なダメージなのである。 今回の雨で水没してしまった農機はほぼスクラップ同様になっている訳だが、農機一台買うのにいくらかかるかご存じだろうか。性能のよいコンバインなどは500万〜1000万程度は楽にかかる。そして、なぜかそれを農家一戸に一台買うのが日本のスタイルである。購入はローンだが、年に1度しか収穫が無く、当然換金タイミングも一度しかない農業生産者に対してローンを組めるのは、当然ながらJA(農協)しかない。そこでJA経由でローンが組まれる。これにより、農家はJAとの緊密な関係を約束させられてしまうわけだが、、、 今回の水没事故で使えなくなった農機を、再度投入するためには莫大な投資が必要だ。その投資を、新潟の比較的優良な農地を保有しているとはいえ、生産者が再度行うことができるだろうか。いや、農協が貸し付けに応じるだろうか。無理だろうなぁ。 と言うわけで、今年〜来年で、真剣に離農する生産者が一気に増えるだろう、と言うのが僕の読みだ。国から特別な救済補助金がドバッと出れば話は別だが、昨今の財政緊縮状況からみると、補助金が出にくい状況になっているので、無理だろう。 このようにして、これまでの農村・農業が成り立たなくなっていく構造改革が、否応なく進んでしまう。構造改革が進むこと自体は悪いことではないのだが、その進み方は、このように凄まじい傷跡の上に成り立つ。その改革の後、どのような秩序を打ち立てるかが一番重要なのだが、この国ではまだその答えが出ていない。 そろそろ僕も、そのあたりの話に積極的に関わらざるを得なくなってきた。あまり更新していなかったこのblogだが、そろそろ書くべき話題が溜まりすぎてきたので、活動を再開したいと思う。...
農業の明日
yamaken
2004-07-30T05:42:01+00:00
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農薬について書いておこう。 その2
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000247.html
(その1より続く) ところで根本的に、「農薬を使わないと農産物は収穫できないの?」という問いかけがあるだろう。僕の結論を言わせてもらうとこうなる。 「農薬を使わない農産物生産は可能だが、農薬を使用するよりもコストがかかる。」 どんな農家でも、喜んで農薬を使っているわけではないのだ。だって農薬を散布するのは農家自身だ。毒を浴びているのだ。僕の友人の農家、とくに花の生産農家は、ハウスのような密閉空間で農薬を散布し、頭がくらくらして倒れた経験を持つ人が多い。消費者の口に入る際には毒性が消えていても、散布している人は確実に毒に被爆しているのだ。それでも使うのは、生産者にとってみれば農業はビジネスだからだ。生産効率と品質のかねあいの中で、農薬を使うシステムが構築されてきたのが日本農業だ。その背景には、生産効率だけではなく、安いものを求める消費ニーズがあることも忘れてはならない。みな、責任を負っているのだ。 長々と農薬とその無理解について説明をしたが、とどのつまり僕は、農薬について自分で勉強もせずに、とにかく安全安心を求める人たちが少々腹立たしいのだ。何も知らずに農薬を悪と決めつけて忌避する態度は僕には受け入れられない。農薬情報を公開して欲しいというが、判断する指標を自分の中に持っているのか? 「じゃあ、誰にでもわかるように残留農薬検査をして、その結果を公開して欲しい。」 了解した。ただし残留農薬検査をするには、一つの農薬を分析するのに2万円程度かかる。例えば15種類の農薬残留検査を行うと、30万円かかることになる。この金額は販売する際に上乗せることになるが、いいのだろうか?それともそのコスト分は提供する側が泣け、といえるのだろうか?また、皆さんが求める安心性を担保するために、どれくらいの厳密度で分析すればいいのだろう?つまり、一枚の畑の作物のうちどれくらいを分析にかければよいのか?分析に回したサンプルは食べることはできないわけだから、分析したもの以外を食べていただくことになるのだ。それでも安心していただけるのですか、、、? このように、分析にも情報公開にもコストがかかる。コストを負担しているのは現状、生産・流通業者だ。 では、そのコストに見合う価格で買われているか?しつこいようだが買われていない。だから今、この国の第一次産業は喘いでいる。よく農林水産業への補助金が問題になる。農業者に手厚く補助しすぎではないか、ということだ。では補助金をカットしたらどうなるだろうか?かなりの農業者がやっていけなくなり、離農するだろう。そして、前回も書いたように、日本から食べ物がなくなっていくのだ。 それがいやならば、自分が求める安全・安心の度合いを見極め、それに見合った食べ物を、いくらで買いたいのかを試算してみてほしい。そして、店頭にいって、欲しい商材があるかどうか。情報公開の度合いがどうか。自分がそれに安心するか、そして価格的にその安心性とのバランスがとれているかを見て欲しい。価格や情報公開度、安心度が自分のニーズにマッチしていなかったら、どこに問題があるのかを考えて欲しい。その上で不満があるのであれば、それを堂々と述べるべきだ。そこまでされたら、生産・流通業者も謹んで、本気で対応させていただくと言うだろう。僕でも「そういうニーズであれば、こういう生産者や流通団体が居て、どれくらいの価格でどういうものを提供できる」とアドバイスは可能だ。とにかく自分が何を食べるかを決めるのは自分自身だ。口に入れるか入れないかという指標は、自分で決めて欲しい。農薬がかかっているのが絶対にいやだという人は、有機栽培農産物や特別栽培農産物を購入すればよいのだ。それらは農薬使用の農産物より高いことが多いが、農薬を使わないことにより手間がかかっているのだから当たり前の話だ。 さて最後に、農薬に対する僕のスタンスを表明しよう。ここまで書いてきた内容からするとびっくりされるかもしれないが、、、 僕は大学・大学院の6年間で50品目程度の野菜を作ってきたが、農薬を使用したことは一度もない(僕の畑をみていた用務員さんが虫害を心配して勝手に殺虫剤をかけてしまったことはある)。そしてこれからも農薬を使用するつもりはない。僕が農業に初めて出会い、傾倒するきっかけとなった農園が、最初から無化学肥料・無農薬の農業を行っていたからだ。使わなくても野菜を育てることができる環境にいる限りは使わない。だって毒だもん。毒を浴びるのはいやだ。自分のことと、いずれ自分の子供ができた時のことを考えてしまう。 ただし、環境要因で害虫発生度が高かったり、この作物を収穫できなければ飢え死にする、、、と言う場合は、躊躇無く使うだろう。生きるためだからだ。もちろん飢える心配がないのであれば、作物が全滅しようとなんだろうと使う気はない。 ちなみに世の中には訳知り顔で「農薬を使わずに農業なんてできない」という輩がいるが、それこそ無理解というものだ。農薬や化学肥料がこれほど使用されるようになったのは大戦後の話だ。ほんの100年前までは、化学合成農薬など使われていなかったのだ。農薬を使わなくても生産はできる。くどいようだが生産効率が落ちるだけだ。このように化学合成農薬や化学肥料を可能な限り使用しないというポリシーを持った生産者や流通業者もたくさんいらっしゃるし、僕の仕事で関わりを持つ多数はそういう人たちだ。 ただし「農業」という言葉は、「農」を「業(なりわい」とするという意味だ。生きるための原資を得ることができなければ業ではない。今の流通システムでは、圧倒的に農薬を使った農産物しか「売れない」ようになっている。その辺はまたいずれ述べるが、だから使わざるを得ない側面を、僕は否定できないのだ。 では僕は農薬を使った農産物を口にしないか、というと、全くそんなことはない。生産者さんからいただく野菜も食べれば、スーパー、八百屋で普通に野菜を買っている。それは「安全だと思うから」ではない。前にも書いたが、食物が安全かどうかは究極的にはわからない。体質や摂取環境により条件が変わるからだ。そんなことより、安全を担保するのは、最終的には食品を食べる人間自身の「健康力」の問題だと思うからなのだ。人間の身体には、毒を排出するあるいは無毒化するシステムが備わっていると考える。自分なりにその能力に磨きをかけるしかない、と僕は思っている。そのための努力はしているつもりだ。この考え方を他人にも押しつけるつもりはない。あくまで僕はそう自分に課しているというだけのことだ。だから、勝手ながらこの考えについての批判はいっさい受けないつもりだ。 それに、、、農薬を使っていようがなんだろうが、食べ物はありがたいものだ。美味しくなくても、ありがたいものだ。僕は他方で、出張食い倒れ日記などという、食べ物に対して無礼千万なblogを書いてはいるが、それでもまずい食事をした時、それを出した店を恨みはするが、食べ物を恨みはしない。どんなにまずくても僕はご飯を残すことはない。それをやったらバチが当たると思う。 、、、ということを書いて、一時間半が経った。6時20分発の新幹線に乗って、現在朝の8時。広島つけ麺の夢を見ながら眠ることとしたい。...
yamaken
2004-03-18T23:05:43+00:00
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農薬について書いておこう。
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000246.html
とある仕事で消費者に対するアンケート調査を実施した。僕の現在の専門である、食品のトレーサビリティに関する意識調査だ。質問項目の軸となすのは、 「トレーサビリティシステムの中で、どのような情報が公開されることが望ましいか」 ということだ。そして消費者の回答は、集計するまでもなく大筋がわかる。7割以上が「農薬情報」を答えるのだ。果たして今回もその通りだった。青果物の安全性という問題に対して、消費者の関心はほとんどが農薬に集中する。この傾向は10年以上前から同じである。「関心のある情報」を問うと、例外なく農薬という答えが返ってくるのだ。 ただ、農業生産・流通業界からみると、いささかこの傾向には首をかしげたくなることもある。農薬の危険性と安全性は、非常に複雑な問題だ。大多数の消費者はそれをあまり理解していないと思うのだが、それなのに「農薬の情報を公開して欲しい」というのはなぜなのだろうかと言うわけだ。 僕の職業的私見としては、消費者が知りたいのは「農薬に関する情報」という漠たるものではなく「残留農薬の危険性があるかどうか」だと思う。2年半ほど前から、無登録農薬問題の事件などもあって、農薬の使用情報を公開する事例が増えている。その中には、使用した農薬の散布歴や希釈倍率まで出しているところもあるわけだが、20回くらい農薬をかけているリストをみてギョッとする消費者も多いという、笑えない話がある。この辺について、正しい理解をして欲しいこともあり、農薬の問題について少々書いてみたい。 まずこの国のシステムとして、農薬は全て国によって認可・登録されなければ販売することも使用することもできない。その認可の内容の多くを占めるのが毒性の試験だ。農薬とは「薬」と書くものの、その実態は「毒」である。そして、その毒が何に対してどれくらい効くのかというのが「毒性」である。毒にもいろいろあって、殺虫剤、殺菌剤、除草剤、土壌消毒剤などがある。実はこれらは成分も目的も、そして強さも全く違うものなのだ。この毒性を評価するために、とてつもなく厳密に(と僕には見える)様々な試験が課される。その毒性評価試験の方法は、政府外郭団体のWebに掲載されているものを一度プリントアウトしようと試みたことがあるのだが、600枚くらいのボリュームがあることがわかり、断念したことがある。ちなみにこの試験の費用はその農薬を登録する企業が持たなければならないのだが、だいたい一つの農薬を世に送り出すのに1億円程度はかかると言われている。 農薬として認可される際、農薬取締法という法律によって、使用基準が定められる。ここでは主に使用回数と希釈倍率、そして収穫の何日前まで使用していいか、が規定される。つまり、この基準に従って利用すれば、この国で登録・認可されている農薬は危険性はないと判断されているわけだ。まず、この点が農薬についての第一のポイントだ。 では、その判断の基になっているのはどういうものだろうか、専門用語を使わずに説明するが、まず人間がその成分(毒)を摂取した時に、影響が出ないとされる値というものが求められる。これはラットや魚などの生命をいただきながら実験を重ね、試算された値だ。この値を、さらに安全性を高めるために100分の1にした値が、「人間が一日あたり摂取しても問題ないとされる値」となる。先の農薬登録時の試験では、作物が人間の口に入るタイミングでこの値を下回ることが要求されるのである。そこで、「その農薬をかけてよい回数」と「かけてよい濃度」が決まる。これが第二のポイントだ。 さてこのようにして登録・認可された農薬を買った農家は、その基準を守っていれば「安全です」と言って良いことになっている。そう、この国のシステムでは、上記手続きを踏んでいる限りにおいては農薬を「安全なもの」としているのである。ここで多くの消費者意識との相違が出てくる。消費者からみれば、どんな農薬も使って欲しくないと思っている。農薬イコール悪、ということだ。しかし、国の判断としては、基準に合致している限り悪ではない、と言っている。このギャップが、農薬に関する問題がいつまでも尾を引きずる原因だと思う。 もう一つ農薬の使用について難しいのは、作物というのはすべて栽培方法や期間が違うということだ。例えばほうれん草は種をまいてから1ヶ月足らずで収穫できるが、きゅうりは3ヶ月以上植えて収穫を続ける。当然、トータルで使用する農薬の量は変わる。しかし農薬の使用歴を表示することになると「ほうれん草は2回、きゅうりは15回。ほうれん草のほうが安全なんじゃない?」と理解してしまう消費者の方が圧倒的に多いのが事実なのだ。米なんぞは春に田植えをして秋に収穫する。回数が多くなっても仕方がない側面があるのだ。 (続く)...
食の安全
yamaken
2004-03-18T23:04:22+00:00
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鳥インフルエンザに思う
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000239.html
浅田農産会長夫妻の自害のニュースは、香川県でラジオから聴いた。一瞬絶句したが、確かにそうせざるを得ない状況に追い込まれていたのだろう、と思う。しかし無惨だ。感染の隠蔽は確かに悪と言えるが、もし私や貴方が、莫大な負債を抱えたままで、収入の途を一切手放さざるを得ないという決断をすることができるだろうか?僕にもできないような気がする。 だから、浅田農産問題は、社会的には責任の深い事件ではあるが、しかし人間としてはあまりにも無惨な事件であった。 さて 気の早い消費者はすでに鶏肉の買い控えなどに走っているらしいが、。誠に愚かなことである インフルエンザウイルスは加熱すれば死滅する。つまり鶏を刺し身にするのでなければ、問題はないはずだ。調理段階で生肉を触ることについては、獣医さんにいろいろと訊いてみよう。 、、、ただし、この前提は健康なひとであれば大丈夫、ということになるのかな。 免疫力が低下している人などはようわからん。 今後問題になるのは、人間自体の免疫力の低下についてではないか。抗菌性なんとかという商品群が示すように、ここしばらく人間が本来持っている免疫や菌との共存性を人為的に破壊するようなモノが多い。菌なんてものは人間より歴史が古く、そこかしこに偏在するのである。それこそ八百万の神と同じくらいに、、、本来的に人間が持つホメオスタシスでは、そうした菌類と共存しながらうまくやっていくように調整されていたはずだ。それなのに、ある種の菌類をやみくもに除去するようなことをやっていると、均衡を保っていた菌類の勢力図が大きく変わってしまう。 これは農業でも同じで、同じ作物を一つの土地で作り続けていると、「厭地(いやち)」といって、菌類やミネラル類が偏ってしまう。その結果、作物を作りにくくなる。だから、基本的に農業において連作をするというのは御法度だ。欧米では土地面積が広いので、循環的に作付けを交代しながら土地を休ませ休ませ利用している。日本ではというと、土地が小さいため、同じ土地に同じ作物を作り続けることが多い。では厭地をどのように回避しているのかというと、、、 土壌消毒という行為で、土壌中の菌類をすべて死滅させ、まっさらにして作付けするということが多い。ダニアースみたいに地中にノズルを差し入れ、薬剤を噴射するのである。消毒と呼ぶが、あきらかに「噴毒」だな。今まではこれに臭化メチルという農薬が使われていたが、これはあまりに土壌への影響力が大きいため、廃止になった。現在では、熱湯消毒(熱湯を浸透させ、菌類を死滅させる)や太陽光消毒などの代替技術ができてきた。 しかし、これも結局は「沢山の菌類との共生バランスを保つのが難しいから、いっそのことゼロにしてしまう」という恐ろしい発想ではないかと思ってしまうのだ。なので、僕も小さな畑を創っていたが、土壌消毒は一度もしたことがない。というか、農薬自体使ったことがない。 まあしかしこれは日本農業の状況からは難しい問題なのでこのへんで終了。 とにかく菌やその他を遠ざけるという発想で、かつ「よくわからないけど危険そうな食品は買わない」という安易な途に流れないで欲しいと思う。日本人はきちんと考えて向き合うべきだ。 僕の静岡県における旨い物の導師である中小家畜試験場の獣医さんである岩澤氏からこんな話をいただいた。 「知ってるかい? 家畜の経済性(卵の数、肉量等)は免疫力(インフルエンザにかかるかどうか等)に反比例するって事を。 つまり5%経済性が上がると、5%免疫力が落ちる事を、、、皆、知らないんだよね。今回の発生は経済性を追った結果と私は考えている。 で、日本古来の鶏は非常に免疫力が高いのだ。だから病気には強い。今後、地鶏については、このあたりをもっと理解して貰う必要があるんだな。」 なるほど!経済性と免疫力反比例はまったくそうだと思う。で、免疫力が高い地鶏と低いブロイラーの違いは? それは血統もあるだろうけど、加えてエサと飼い方。カロリーが高すぎないエサを与え、適度に運動させる。それでいいのだ。間違っても外界と遮断した閉鎖系にはしない。無菌状態は、それが続く限りに置いては安全だけど、なんらかのアクシデント時にはそこにいた個体はすべて全滅する危険性がある。 人間も、自分の健康能力を高めることで自衛するのが本道だろう。鶏が「エサと飼い方」なら、人間は「食事と生活習慣」であろう。...
食の安全
yamaken
2004-03-09T02:47:34+00:00
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食べるものが無くなる日がくる
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000231.html
表題の件がテーマとなったNHKスペシャルを観ていた。ある識者が最後にこういうことを言っていた。前後の文脈込みなので意訳になるがご容赦。 「鴨などの水鳥は昔からインフルエンザの宿主として知られてきた。でも、鴨はウイルスとともに生きている。人間は何かウイルスが発生すると、例えば鴨を根絶やしにすることで制圧しようとする。これは、自然に生かされている人間として不遜なやりかたなのではないか。鴨のように、うまく共生する方法を探らないと、、、」 実にこの世界に対して謙虚な方の意見だと思い、敬服した。 先回、このblogに「安全な食べ物は安くはならない」ということを書いたが、相当な人から共感をいただいた。本編もその続きとなる。 これから起ころうとしていることは、我々が食べるものがドンドンなくなっていくということなのだが、それにお気づきだろうか。BSE問題により牛肉に対する不信感が高まった。輸入野菜の農薬問題で、青果物に対する信頼感が低下した。鳥インフルエンザは人に感染するとわかり、パニックを引き起こした。豚や魚や、いわんや野菜もどうなるか全くわからん状態だ。こんな状況は、10年前には予想だにしなかったことである。 10年前、、、僕の母校の大学のK先生が、政策系の講義で農業問題を取り上げたことがある。当時、米の自由化問題が話題の中心だったGATTウルグアイラウンドについてである。その際、僕は学生代表としてプレゼンをやれといわれ、もちろん自由化反対の立場から論陣を張った。自由化をするのであれば、段階的に国内の競争力を向上する施策を打ってからにすべきだという話をした。 これに対してK先生は真っ向から自由化反対論を切り捨てた。その頃はこんな造語はなかったが、今から思えばこの先生も「グローバルスタンダード」の時代がくるという発想だったのだろう。こういってのけたのだ。 「山本君、米が日本で作れなくなったら、韓国や中国から輸入すればいいんです。」 その瞬間、頭が真っ白になるほどの怒りを覚えたのを記憶している。当時バブル終盤ということもあったからこその話かもしれないが、、、 この発言が成立するには、大きな条件が3つある。 1.日本に食料を輸入する(つまり買う)だけのカネがあること 2.輸出してくれる国があること 3.その品目が輸入可能になっていること さて、このところ起こっている問題を考えたときに、これらの条件はどこまで守られるだろうか。牛肉や鶏については、3.がすでに×である。世界的に当該品目が取り扱えなくなるのだ。 そして1.2.については、もうしばらくしたら問題が顕在化するだろう。中国が消費国になれば、日本に輸出する必要性は無くなるはずである。 もしこうなったら、日本はどうなるのだろうか。 先日発表されたばかりだが、農林水産省の調査では、日本の食料自給率は40%である。これは、先進国中ぶっちぎりで最下位である。この食料自給率の内訳の中で、野菜はかなりの自給率を占めている。問題は穀物だ。主食用穀物つまり米については61%だ。 「お、いいじゃん」 と思ってはいけない。飼料作物を含め、すべての穀物の自給率は、なんと28%である。小麦などはたった13%しか国内で生産されていないのだ。 飼料作物というのは、家畜の餌だと思っていただきたい。乾燥トウモロコシや乾草が主体で、牛も豚も鶏もこういうものを食べている。これを含め28%ということはだ、日本の食卓にあがる肉類も含めて、米を除くほぼすべての穀物が海外産だということなのだ。 もっと詳しく知りたい方はぜひ下記農水省のWebを見て欲しい。 http://www.kanbou.maff.go.jp/www/anpo/sub63.htm つまりだ。今、のほほんと食べている食品は、半分以上が(60%が)他国に依存して生産されている。今までは脅威となる要素が見えにくかったから問題になってこなかったが、いよいよ食べるものがなくなる危機が目に見えてきたと言うことなのだ。 世にも恐ろしい「トウモロコシウイルス」とか「小麦粉病原体プリポン」なんてものが発生したら、牛肉だけではなくすべての畜産が吹っ飛ぶのだ。きっとそうなったら、消費者はこう言うに違いない。 「え?牛や豚って草たべてれば育つんでしょ?その辺の草を食べさせればいいじゃない!」 そうはいかない。家畜に食べさせる草を国内で生産するコストよりも、海外から輸入した方が断然安かったから、輸入中心になったのである。それを国内産に切り替えろと言うことはつまりコストが上がり、 「牛肉の値段が今の数倍になる」 ということなのだ。もちろん牛だけではない。すべての畜種だ。 あと、草だけ食べさせた牛や家畜はおそらく現在の日本人の嗜好には合わない味になるはずだ。日本人に好まれる霜降り肉は、トウモロコシなどの高カロリーな飼料により生産される。草を食べさせると牛は、極めて健全に(つまり脂肪がつかない)育つため、霜降りにはならない。ま、僕はそういう赤身中心の肉も好きなのだが、、、 それ以前に、国内で今の肉供給量を保つことができるために必要な飼料作物を作ろうとすると、、、人間が食べられる他の作物をつぶして牧草畑にしなければならないだろう。本末転倒である。 ずいぶん長くなってしまったが、肉の問題だけではないのだ。すべての食品に対して、このように「明日から食卓に上らない」可能性があるということを知って欲しい。 そして、このエントリで最もいいたかったことをこれから言うのだが、、、 この状態を創り出したのは、他ならぬ我々自身なのだ。 安いものしか買われなくなってしまった小売店頭で、商品を棚に並べてもらうためには、原価を下げるしかない。原価を下げるためには効率的に食品を生産するしかない。国内で手配ができないのであれば国外のものに手を出すしかない。それにも安さを求めるのであれば当然国外の生産地では想像だにしない資材や農薬を使い、、、 とこう言うことではないだろうか。 だから、結論として「これから、食べ物は高くなる」という事実を受け入れるという選択が必要だと思う。今、消費者の多くは「安全/安心」を求めているようだ。それはそうだろう。では、少々高くなっても我慢しよう。肉の生産がダメージを負っている。肉をあまり食べないようにしよう。その方が元来、東洋医学的な見地からいけば健全だ。国産の小麦で作られたパンが外国小麦のパンよりも高いけど、そちらを買うようにしよう。 そんなのは、すべて他の拠出(嗜好品や服や娯楽)から割り引けばいい。何度も言うが、きらびやかな服は外を飾ってくれるが、食べ物は人間の内部、そのものを構築するものなのだ。粗悪なものを食べたら、粗悪な細胞になると、なぜ思わないのだろうか。 やや書きなぐりの感もあるが、ちょっとホトバシリマシタ。今回はこんなところで。...
食の安全
yamaken
2004-02-29T13:01:29+00:00
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トレーサビリティシステム実証実験の報告会
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000225.html
農協流通研究所主催で、下記のセミナーが開催される。 「食品トレーサビリティシステム普及推進セミナー」 http://www.nrk-net.org/fukyu.pdf 3月11、12日開催 ※詳細はWebをご参照。 この中で、11日の14時から、僕が関わっている「青果物流通研究会」の発表をする。プレゼンテーターも僕がやることになる。 僕が関わったトレーサビリティシステムの実証実験は下記ページのようなものだ。 htttp://www.gls-net.jp/ セミナー参加範囲はだいたい農産物生産・流通関係者が主だが、一般も問題なく参加かのうとのことだ。もしご関心の向きは申し込みをされたい(僕に言ってもダメよ。)。 会場で声をかけてください。...
トレーサビリティ
yamaken
2004-02-26T05:00:47+00:00
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安全な食べ物は安くはありません。
http://www.yamaken.org/mt/oreto/archives/000156.html
昨晩から本日にかけて、米国でBSE感染牛発見の恐れがあるというニュースが報じられた。日本ではすでに狂牛病騒ぎが鎮静化を迎えようとしていたところで、マーケットの反応は、まだ全容がみえてこない。しかし、間違いなく今年度最大級のニュースだと思う。 http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/bse/news/03122401.htm あの米国の牛の飼い方で、BSEが発生しないはずがない、と思っていた。しかし、輸入牛肉の60%を占める米国の騒動だ。年を越しても、沈静化は時間がかかるだろう。すでに量販店や外食のバイヤーは、枕を高くして眠れない状況だ。電話しても全然つながらない。 そろそろ気づいてもいいのではないだろうか。安心して食べられる食物は、安くはならない。これは当たり前のことだ。価格には理由がある。安いものには安くなる理由がある。100円で買えるということは、そのものが100円の価値しかないということでもある。 食べ物を選ぶということは、自分の血や肉、細胞を構成する要素を選ぶということだ。近代栄養学では、食物を栄養素で分解しているわけだが、マクドナルドのハンバーガーのパンに使われている小麦と、無化学肥料・無農薬で生産された小麦とに差異を認めることはない。けれど、その両者の間には遙かなる隔たりがある。その隔たりの分、価格も違う。 高いものと安いものがあり、それを選択するのは、買う人の自由だ。それは全く問題ない。けれど、 「食べ物は安全で、しかも安くあるべきだ。」 という論には僕は真っ向から反対である。 「安かったらいいな。」 であればいい。けれども「安全で安く」というのは横暴というものだ。 まず、食べ物とは本質的に、全方位的に安全なものではない。人間の体質は千差万別だ。ある食べ物が薬になる体質もあれば、毒になる体質もある。何を口に入れるか、というのは、あくまでその個人が能動的に選択すべきものなのだ。無論、食べ物を提供する人間には、安全なものを提供する義務がある(食品衛生法等)。しかし、法的義務として守るべき「安全性」は低いのだ。それ以上の安全性を求めるときに、「安く」という価値が併存できるはずがないではないか。 安全な食べ物は、安いものではないのだ。...
食の安全
yamaken
2003-12-24T06:32:40+00:00