やまけんの出張食い倒れ日記

ダイエー中内氏の逝去に思う

ダイエーの創業者、中内氏がお亡くなりになった。時代の転換点だな、と思う。

ダイエーは、「安い」ということを価値の最重点において成功した最初の業態だ。高度成長する経済状況の中で、それまで作り手・売手の元にあったイニシアチブを、消費者・買手の側に引き寄せた流れの最先端に居たのが中内ダイエーだと言えるだろう。

信じられないことだが、ほんの40年前くらいには、今のように消費者は強くなかった。商品アイテムも少なく、「作れば売れた」時代だったのだ。その頃は、農協や市場のパワーはものすごく、スーパーのバイヤーさんは「商品を卸して下さい」と頭を下げに行っていたそうだ。そのパワーを消費の側、買い手の側に引き寄せてきたダイエーの功の部分はそれはそれで大きい。メーカーの圧力と戦いながら価格を引き下げ、消費者の圧倒的な支持を得たスーパーが小売販売の主軸に躍り出てからは、群雄割拠になった。そこから現在まではあっという間だった。

しかし、「安さ」を至上命題としたための「罪」の部分もある。
小売のトップが価格を下げている限り、消費者には「これが標準的な価格なんだな」と思わざるを得ない。そしてメーカー・生産者側は、コストの削減を求められ、さらなる値下げを余儀なくされる。そうなると、どこかに手を抜かない限り経営を支えていくことはできない。こうした流れの中でどうしようもなく弾けてしまったのが、2000年より始まる食品の安心・安全神話の崩壊だ。一連の事件は起こるべくして起こったのである。

僕は数年前、とある市場における年始の集会で、ダイエーのある青果物関連の方がこういう話をしたのを耳にしたとがある。

「うちが価格を下げさせてきたあまりに、青果物の建値が下がって、それによって生産・流通全体に影響が出てきてしまったなぁ、と反省しております」

というようなことを、当のご本人が頭を下げていたのだ。やはりご自信でも認識しておられたのかと、この光景にはビックリした。その方は今でもたまに電話で連絡を取らせて頂いているが、ダイエーを去り、青果流通業をしていらっしゃる。

景気が底を打って反転するという気配は歓迎すべきことだ。それならもう一つ、モノの価値ももう少し上げて上げないといけないのではないだろうか。100円ショップで食品を買うということも否定はしないが、誰もが100円ショップに殺到すれば、食品の価格はすべてそこの標準化されてしまう。そして生産者・メーカからはきちんとモノを作るという意志は持ち得なくなるだろう。100円ではまともな食品は作りようがないからだ。

経済的にほっと一息つくことができる状況が出てくるならば、少し高くてもいいものを買って、生産者を支える側に回る。そうしたお金は、輸入品を買うことと違って海外には出て行かず、日本の経済の中でまた循環していくだろう。アメリカ産牛肉の輸入解禁問題も含め、いろいろなことを選択し直す時期に来ているような気がしてならない。

ダイエーの中内氏のご逝去の報に接し、そんなことを思った。故人のご冥福を祈るばかりである。