やまけんの出張食い倒れ日記

「日本の農業はもっと強くなれるから、保護は要らない」というのは欺瞞だ。アメリカの農業政策の歴史を観ればよくわかる。

TPPや、企業の農業への新規参入の話の中でよく出てくるのが「日本の農業はもっと強くなれる」というものだ。土地をまとめて規模拡大し、効率的な経営をすれば強くなれる、と。日経などの新聞ではこれまで何度もこうしたことを書いてきているのでそれが真実だと思わされている人もこの国では多いだろう。けれども、そんなことを本気で信じている農家はほとんどいない。

もしそれが可能なことだったら、農業がこんなにもゆっくりと着実に凋落していく過程で、誰かがそれを実現しているはずである。

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■「大規模効率化」の夢はいい加減に捨てた方がいい

土地をまとめるということが難しいのは、現状の農業者にとっても非常に難しい問題だ。細かく区切られてしまった日本の農地は、いろんな思惑でバラバラのままだ。純粋に農業を続けたい農家もいれば、よく批判されているように、いずれ道路拡張などで転用・転売できる日のことを夢見てとりあえず所有し続けている農家など、いろんな人によって区切られている。そうした所有の問題があることは事実。

しかし、それが農業の大規模化の阻害要因であるならば、まず既存の農業者に限定して、土地を流動化する施策をすればいい。彼らはこれまでプロフェッショナルの技術を持って営農してきているのだから。どこの馬の骨ともわからない他産業の素人軍団に貴重な農地を与える必要がどこにあるんだろうか? 「農地の流動化」と「新規参入の促進」を無条件に結びつける人たちの言葉には、ここにひとつの論理的飛躍がある。

ちなみにいま、すでに一部では農地は大きく流動化している。茨城県稲敷市のとある米どころの集落には米農家が100軒以上あるが、そのうち実際に農機を動かして農業をしているのは何戸だかご存じだろうか?

答えは、たったの2軒の農家、である。じゃあその2軒は若い生産者がいるのかといえば、どちらも50代後半。数千万円の農機を購入して、中国人研修生の力を借りてやっとこさ50ha以上の広大な面積をてがける。とはいっても一枚一枚は小さな田んぼで集約されていないので効率は悪い。日本の国土は起伏に富んだ地形が多いので、平らにならすことなど不可能なのだ。

「大規模集約化すれば強くなれる」 と言うのは簡単だが、これはあくまで「すれば」の仮定であって、現状ではほぼ無理。だって隣の田んぼとの高低差を、ブルドーザーやユンボを入れて平らにするだけで数百万。本当に「大規模」といえる規模といえば一枚の圃場が5ha以上となるだろうが、高低差のある圃場をつなげて平らにすれば数千万以上になるかもしれない。すでに採算のとれない米や、10kg箱ひとつ2000円程度の単価にしかならない野菜を何年作り続ければその初期コストをペイできると考えているのだろうか?

そういうことだ。

 

■所得保障制度はパンドラの箱だ

さて、実は昨年から農家に対する戸別所得保障制度というのが動き始めている。昨年度は「モデル事業」、そして今年度は本格実施の初年度となる。

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戸別所得保障というのを簡単に説明すると「農産物の販売価格が標準を下回っている場合に、その差額を補填する制度」である。

これまではいわゆる「減反」のように、たくさん市場に出回ると安くなるから、作るのやめてください。作らなかったら補助金払いますという方式(生産調整という)の補助制度だったのが、その反対の「作って出荷した分の価格を支えます」という方式になったわけだ。前者が市場価格をコントロールするための調整であったのに対して、後者は生産者個々の業績に応じてダイレクトに支払われる補助になるので直接支払いとよばれる。

この補償制度も施行されたので農村はもう大丈夫、という言い方をする人が多いのだが、実はすでに問題が生じ始めている。

まずこの戸別所得補償でもっとも影響が大きいのは米なのだが、米の価格は下がりっぱなしである。この制度のことは買手である米穀卸や量販店などもよーくわかっているので、「米が安くなっても、補償金が入るから大丈夫でしょ?」といってどんどん買い取り価格を下げてくるのだ。直接所得補償制度が施行された品目については、市場価格は下がるのである。

そして一番の問題は、この制度ではしれっと書かれている「標準価格」のことである。何を持って「標準」とするのかは、生産者がどうこうできるものではない場所で決められる。生産費と標準価格の差額が補填されるわけだから、肝心の標準価格と呼ばれるものが下がっていけば、生産者は生活ができなくなる。

「やまけんさん、それはオーバーだよ、いくらなんでもそういうことにはならないでしょ?」

と考える人もいるだろう。でも僕はこの点については悲観している。

昨年度中に邦訳されて出版された農業関連の本でもっとも秀逸だった、「雑食動物のジレンマ」(マイケル・ポーラン著)の上巻を引用したい。

1970年代に農務省の長官となったバッツが、コーンなどの基本的な穀物に直接支払い制度を導入したのだ。それまではかつての日本と同じく政府が買い上げての「価格を安定させる政策」をとっていたのだが、国の財政負担が大きいこともある、これを一気に直接支払いに変革した。

「農家は、融資から直接支払いへの転換を一大事だとは考えなかった。どちらにしろ、トウモロコシの価格が下がっても、政府が目標価格を保証してくれるのだ。だがその実、これは穀物価格の下限を取り除くという画期的な事件であり、推進者はそのことをわかっていたはずだ。

以前の融資・穀物制度の下では、価格が暴落すればトウモロコシは市場に出されなかった。けれども新制度の下では、トウモロコシがどのような価格でも、農家は売るように奨励され、政府がその差額を支払う。結局、政府が実際に支払うのは差額の内のいくらかだけとなったのだが。

以来、導入された農業法案のほぼすべてにおいて、世界市場でのアメリカ産の穀物の競争力を高めるという名目で、目標価格が引き下げられた。」

おわかりだろうか。補償があると思うから農家はどんどん作物を作る。結果、市場に出回りすぎて価格もどんどん下がる。そして差額補填の基準となる標準価格はどんどん下がっていき、農家は逼迫していくのだ。

この本ではネイラーというコーン農家が登場して、このような低価格スパイラルに陥って脱出できない農家の悲哀を語らせている。

「価格が下がった時に、生活レベルを変えずに月々の光熱費などを払い、借金を返し続けたいなら、一つの選択肢しかない。それは生産量を増やすことなんです」

農家が生計を立てるためには、一定のキャッシュフローが必要になる。トウモロコシ価格が下落した時に収支を合わせる唯一の方法は、さらにトウモロコシを売ることなのだ。

(中略)

これが、生産量を高く、価格を低く保つシステムなのだ。さらにこのシステムは、実は価格を下げ続けるようにつくられている。それは、農家に目標価格の不足分を支払うことは、できるだけ多くのトウモロコシを生産し、どんな価格であれ、市場にすべて出すことを奨励するからだ。当然、価格はさらに下がり、そうなるとネイラーのような農場主が収入を下げないためには、トウモロコシをさらに作るしかない。

こうしてトウモロコシの山は大きく鳴り続け、1970年の一億160万トンから、現在の二億5400万トンへと増加した。この安価トウモロコシの山を動かすこと つまりそれを消費する人間や動物、燃料とする車、吸収する新製品、輸入する国を探すこと が、工業化した食体系の重要な課題となった。 トウモロコシの供給量は需要量を圧倒的に上回ってしまったのだ。」

後半部のくだりが、なぜ日本の畜産においてアメリカ産の餌用コーンが餌の50%以上を占めるのかを語っている。

それはともかく、直接支払制度はこうした諸刃の剣なのである。米の価格はこれからどんどんさがっていくだろう。

「でも、足りない分は補助が出るんでしょう?」

そうとは限らないということは、おわかりいただけただろうか。僕は個人的に、この記憶すべき転換を忘れない。