全米和牛協会(AWA)は、1976年から1998年の間に海外に輸出された和牛の遺伝資源が輸出された遺伝資源をベースに、その血統を維持・改良しながら肉牛を生産する農家の集まりだ。
■アメリカのWagyuに関する情報交換が行われる全米和牛協会という団体。https://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2018/10/29692.html
とくに集中的に出荷されたのが90年代後半で、北海道白老町の武田正吾さんが輸出の中心的役割を担った。この武田さんのことをインターネット検索すると、多くの人が「国賊」「国益を流出した人物」という風に書いている。日本にしか存在しない和牛という遺伝資源を流出させ、海外にビジネスチャンスを与えたことは許せない、とする農家や関係者の気持は、よくわかる。僕も武田さんに会うまでは少し複雑な気持ちを抱いていた。
ただ、武田さんにお会いして、正直なところその人間的な魅力に参ってしまった。ひとことでいえば武士のような人であった。
今回、日本農業新聞の山田さんにAWAの総会に誘われたときには、武田さんがらみの話は何も聴いていなかった。参加を決めてから北大に勉強に行った際、和牛関連の仕事をする学生と出会い、その学生から驚くべきことを聴いたのだ。
「そのAWAに、武田さんが参加しますよ!ていうか、AWAが長年の武田さんの功績を讃えるため、ファーストクラスで武田さんを招待して、表彰するんですって。」
えっ マジか!?
参ったね、これは貴重な場面に居合わせることができる、とワクワクしてしまったのだ。
週末、フォートワースの歴史記念地区であるストックヤーズは大勢の人でごった返していた。
AWAの年次総会プログラムでは、午前中から午後にかけては、各種のセミナーが開催されていた。
興味深く聴いたのが、アメリカにおける肉牛生産とサステナビリティについての講演だ。
肉牛生産の全過程におけるCO2排出量等を試算した結果、なんとアメリカの肉牛生産におけるカーボンフットプリントは、とても低い値であるというのだ。
しかも、温室効果ガスの発生要因としての肉牛生産の値はとても低く、2%程度だという。車や電化製品由来で発生する温室効果ガスに比べればとても低い、と。
基本的に、牛肉生産が温室効果ガス生成の大きな要因となっているという説の方が圧倒的多数だと思うので、ちょっと驚いた。ただし、この講演をしたサラ・パレスさんは、全米の肉牛農家の組織(National Cattlemen's Beef Association)の研究員なので、あたまから鵜呑みにはできないのだが。
次は、Wagyuを積極的に使用しているシェフのお話。
話しはよくわからなかったのだけれども、ドライエイジングしている写真が多く出てきた。
うん、正直いってこっちのほどよいサシ量のWagyuのほうがドライエイジングには合うかもしれないよなぁ、と思ってしまった。
さて、いったん2時間ほど休憩したのち、夕刻からはガラディナー。ここで、日本から来た武田さんが表彰されるのだ。
初日に出会ったミズーリから来ているブリーダー家族。みんなフレンドリーで、「どう?楽しんでる?」と声をかけてくれる。
自由席なのでテーブルを確保して、三脚を立ててビデオ録画する準備をしているうちに、入り口の方が騒がしくなってきた。と、山田さんが「やまけん、どうやら武田さんがいらっしゃったようだよ!」と。
武田正吾さんの登場である!
協会のメンバー達がつぎつぎと武田さんに挨拶に来る。
アメリカに基礎牛を提供した武田さんのことを知らぬものは、ここには一人もいないのだ。
武田さんに前に来ていただいて写真を撮っていたら、「わたしも一緒にとって欲しい!」という人達がわらわらと集まってきて、大変なことになってしまった!
それにしても武田さん、元気な方だ。お歳を尋ねたら、なんと1927年生まれ、ということは、、、
91歳!?
驚きだ、、、まったくそんな風には見えなかった!
さて、ディナーが始まった。壇上に椅子が並び、武田さんと、コーディネーターとして武田さんと二人三脚してきたテッドさんが座る。
そして、AWAの会長より、ライフタイムアワード(功労賞?)を授与する、の挨拶。
「武田さんは70年以上もの長い期間、和牛生産に携わってきた。その貴重な遺伝資源を世界に輸出してくれたことで、WAGYU文化が広まった。この世界にはとても秘密が多いが、武田さんはとてもオープンで、その生産方式さえも指導して下さった。こんにちの世界のWAGYU界で彼はもっとも偉大な役割を果たした。そのお身体は小さいけれども、彼の功績はジャイアントである。ここに、協会より功労賞を授与したい。」
その瞬間、会場の全員が立ち上がってスタンディングオベーション!!!!!!!
いや、なにかジーンとくるものがありましたね、、、
いやあ、いいものをみせていただいた!この場に居られたことをとてもうれしく思う。
そしてもうひとつ。このガラディナーのメイン料理は、AWAの会員達がドネーション(寄付)して集まったWagyu肉をステーキにしたものだったのだが、、、
塊肉をいただくのはこれが初めてだったのだが、、、
とても、とても美味しかったのだ!
フィレとリブアイが供されたのだけれども、どちらもとても健全な肉質、十分なテンダネスとうまみがあり、日本のA4以上の黒毛に感じるシツコサがまったくない。しかもリッチだ。USビーフの赤身感ではなく、まちがいなく霜降り肉なのに、健康的な味わいなのだ。
正直な話、この時点で僕は焦った。アメリカのWagyu肉のほうが、日本の和牛肉よりも美味しいという時代が来てしまうのではないか、という考えがチラリと頭をよぎったのだ。
武田さんがぼくたちのテーブルに来ると、同じテーブルで仲良くなったケビンとブライアンも挨拶。ブライアンは10年以上前に武田さんに会ったことがあるとのことだったが、そのことを武田さんは覚えており「ああ、オーストラリアで会ったね!」と思い出されていた!そのことにブライアン大感激。
興奮のディナーが終わり、ホテルに引き上げるということで、武田さんにインタビューをさせてもらうことになった。
ここでのインタビューは後日、山田さんがどこかのメディアで記事にすることになるので、詳しくは書かない。あ、山田さんの文章と僕の写真で、記事執筆をできるメディアがあれば、ぜひお声がけ下さい。このブログでは書いてませんしあまり書きませんが、足を運ばないと得ることのできない、ちょっとすごい話しがたっぷりあります。
それにしても驚いたのは、御年91歳の武田さんがじつに精力的で、記憶力がハッキリとしておられること。
「あれはたしか●●年に精液●●本だったな。」というように、年と頭数、本数などをしっかりとおっしゃるのだ。
彼は、元大リーグの投手で、引退後に武田さんのWagyuに出会ってブリーダーを始めた人だ。
ほら、このリング。
武田さんのWAGYUに魅せられ、この世界に入った人達がみな、武田さんを囲んで放さないのだ。
ほら、これが俺の牛だよ、と。
いまや、和牛の資源はオーストラリアとアメリカに存在し、それをベースにしたWagyuの生産がされている。ただ、それらは日本の和牛とはまったく違う肉である。だから日本の和牛文化は「本家日本の和牛」を売り込めばよいのだ。
ただ、懸念されるのは、世界の人々はもしかすると「本家日本の和牛」よりも「Wagyu」の方が美味しいと思ってしまうかもしれないということだ。少なくとも僕にとっては、アメリカで食べたF1のWagyuの方が、ステーキ肉としては好ましいと思ってしまっている。
その思いは、翌日に訪れた二人の畜産農家の牧場と、テキサスでWagyu肉を出すレストランで確信に変わったのである。