やまけんの出張食い倒れ日記

大吹雪の中、唯一無二の食肉料理人集団が拓いた「エレゾエスプリ」に泊まる! 遊牧舎の秦先生と満寿屋パンの杉山社長ご夫妻と一緒に圧倒された夜と朝! その1 13年前、エレゾと佐々木章太はこんな感じでした。



北海道は十勝の豊頃町大津に、エレゾ(EREZO)という組織がある。みずからを食肉料理人集団と名乗る彼らは、本当に日本において唯一無二と言える活動をしてきた。ひと言でいえば、十勝の大自然のなかで獲れた野生の鳥獣を、優れたレベルの食肉に高め、また食肉として需要の低い部位は自ら高い技術でシャルキュトリに加工し、付加価値を最大限に高めて全国の料理人に販売する集団と言うことになる。

特筆すべきは、そのレベルが極めて高いということだ。全国的に雨後のタケノコのように出てきているジビエブームの遙か前より、彼らは鳥獣を食肉原料として獲るための技術や、撃った後の処理などをマニュアル化。仕入に対して厳しい基準を設け、猟師に徹底してもらう。なにより内部にベテランで腕利きの猟師を抱え、単なる客としてジビエを買うというところから次元の高い段階へ脱却を果たしている。

その彼らが長い長い年月を経て、豊頃町の大津地区にオーベルジュを建てた。とても感慨深い、というのは、僕は13年前に初めてエレゾの代表である佐々木章太と出会ったのだが、その時から彼はこうなることを見越して、すべての準備を始めていたのだ。

話しは2009年に遡る。

当時、北海道大学の静内牧場長であった秦 寛(はた・ひろし)先生に「十勝に面白い放牧養豚の事例をみにいくから、一緒に行きませんか?」と声をかけていただいた。ぜひぜひということでご一緒したのだが、その放牧養豚で、ほぼ1年近い時間をかけて育てられた豚(現在はもうない)を、一灯10万円で購入する会社があると言う。ちなみに当時、豚は一頭でせいぜい3万3千円程度(現在は4万5千円くらい)。法外と言える価格で購入するのはなぜかというと、生ハムにするためだと言うのだ。日本の豚は通常170日前後で100kgにして育てるのを出荷するが、これだとテーブルミートとしてはよいが、生ハム用には若すぎる。放牧養豚だと、日々のカロリーが薄く、しかも運動するために、出荷適齢体重になるのに時間がかかる。そうやってじっくり育った豚がよいと言うことなのだ。

「そんな取組をしている佐々木君てのがいるので、会ってみましょう」

場所は、帯広の有名なレストラン「繪麗(エレ)」だ。


このレストランは帯広ではつとに有名なのだが、じつはここを経営するのが、帯広市議でもある佐々木直美さん。これから会う佐々木章太君はその息子だということなのだ。

その出会いの席は実に面白いものだった。


秦先生と僕らに加え、短角牛を育てる北十勝ファームの上田さんに中村こずえちゃん。そして一万頭以上の規模で肉牛を生産するノベルズの西尾君も合流。そこに、佐々木章太が現れた。


それこそ野生の獣のごとく鋭い眼光に、無言。そのうちボソッと僕を観て「専門料理の連載、読んでます」と。


おそらくエレゾの工場を立ち上げて間もない頃だったのだと思う。例の10万円で仕入れた放牧豚を生ハムにしたものを出してくれた。


ご覧のように、室温ですでに脂が溶け始めている。その馥郁たる香り、素晴らしいものだった!

「長く育てた豚はこんな肉になるんです」と塊肉もみせてくれた。



肉色の濃さ、みっちりつまった肉質、どこをとっても素晴らしいものだった。

「生産者が育ててくれたものを本当に価値のあるものにするのが食肉に携わるものの義務だと思います」というようなことを言っていたのを記憶している。素晴らしいことだと思うけれども、こんな実直な若者が、海千山千のこの業界でやっていけるのだろうかと若干あやぶんだことを覚えている。いまとなっては失礼なことだが!

その後、しばらく間が空いて翌年の2011年、やはり秦先生や望月製麺所の泉田さんらと一緒に、エレゾの工場を見せてもらうことになった。


大津の街を見下ろす丘に、灯台がある。


その奥に、エレゾの食肉加工施設がある。


この辺一帯が、その後数年のうちにエレゾによって牧場になっていくのだが、まだその面影は無い。



この写真の工場は最新のものになる前段階のものだ。懐かしいねえ、、、


この時、とにかくいろんなお肉を用意して待っていてくれた章太。



この時には放牧豚のみならず、ジビエのビジネスも拡大しており、とにかくいろんな肉が並んで圧巻だった!






そして、この頃はまだ小型のチャンバータイプの熟成庫だったが、その中にはさまざまな獣の肉が並んでいた。


まだまだ量は少なかったが、生ハムをはじめとするシャルキュトリも!



下の写真の、章太の後ろにいるのは、昨年後半に、狩猟中の事故でお亡くなりになった尾崎さん。ご自身が腕利きのハンターで、章太に請われてエレゾ社の専属ハンターに。エレゾの精神的支柱となった方だ。


尾崎さんにもう一度会いたかった、、、

さて、この時、大津の海を見下ろす丘で「ここに将来、宿泊施設も建てたいんですよ」と章太が言っていたのだ。


まあその時、正直言うと「いやいや、夢は壮大だけど、ビジネスを軌道に乗せていくのは大変だよ!」と思っていたのだが、、、この地にまさかこんな素晴らしい建物が建つとは!

以下、後編に続く。