やまけんの出張食い倒れ日記

銀座FAROの「ヴィーガン・カストロノミー」が永久保存版といえるくらい素晴らしい! 米澤文雄シェフの名著「ヴィーガン・レシピ」と一緒に本棚に入れるべき一冊。資生堂がグランメゾンを営み続ける意味はこれだよな。


銀座の資生堂ビルにあるイタリアン「FARO」の能田耕太郎シェフによる素晴らしい本が昨年末に出た。手元には届いていたのだが、じっくり読んでから紹介しようと思って時間が経ってしまったが、読み終えてとても興奮している。

本書は、柴田書店の料理専門誌「専門料理」に連載された同タイトルの記事に大幅に加筆修正を加えて出版されたものだ。ちなみに編集は昨年4月までうちの会社で働いてくれていた柿本礼子、そして柴田書店では現・専門料理編集長である齋藤さんが担当している。そう、下記の過去記事の後半に出てくる面々が撮影や執筆をしているわけだ。

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https://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2021/03/30217.html

それにしても、連載の誌面でみるのと、一冊の単行本になったものとでは明らかに質感が変わって、ひと言でいえば宝物感が強い! 美しいブックデザインもすばらしい。かつ、この本の前半分、11のテーマに沿ったページは英語の対訳ページがしっかりとあって、このまま海外でも販売できるような体裁になっている。その英語ページの翻訳を監督したのは、サステナブル・シーフードの書き手でありプロデューサーでもある佐々木ひろこさんなのだ。ここまで役者が揃った本もなかなかないだろう。

それはともかく、、、

日本でもヴィーガン料理が注目されるようになったが、いまだに「植物性だけで料理を考える意味が分からない」とか「ヴィーガニズムに共感できない」といった声が料理界でも聞こえてくる。僕から観れば、ヴィーガニズムという世界観の全部または一部に共鳴するひとが少なからずいるということは確実なのだから、好むと好まざるとに関わらず、ひとつのマーケットと捉え、対応できる人は対応していけばいいじゃないかと考える。

でも、能田シェフにとってヴィーガン料理へのチャレンジはそれ以上の能動性をもって取り組むべきものなのだ。

「ヴィーガン料理は「制限」ではなく、表現の可能性を拡大するものだ。」

という冒頭の言葉がある。最初のパートで紹介される「ジャガイモのスパゲッティ」は、イタリアの店でグルテンアレルギーのお客から「どうしても君のパスタを食べたい」と訴えられ、試行錯誤の中で生まれた料理だという。それを発展させたものが、なんと料理の国際コンペティションで最優秀賞を獲得した。ただ、オリジナルレシピではイワシの魚醤であるコラトゥーラと、乳製品であるバターを使っている。これをヴィーガン料理として再構築する中で、バターや乳製品を使わないでいかにおいしくできるかを模索する。その中で彼は本書で詳しくそのレシピが開陳されているヴィーガン・ピスタチオバターを開発した。こうした試行錯誤は彼にとって「制限が、私の可能性を広げてくれました。」と言い切る、発展の種なのだ。

なるほどな、と思ったのは、冒頭の言葉から数ページ先にある、ヴィーガンチーズのページだ。


能田シェフのヴィーガンチーズの主成分はカシューナッツである。カシューナッツのたんぱく質と油脂分を巧みに処理することでチーズ様の香りや質感を得ていくわけだが、そのプロセスが面白い。カシューナッツはそのまま使うのではなく発酵させて使用する。それだけではなく、表面に白カビを生やして(ちゃんと食用可能な白カビを使用)、カマンベールチーズのようなフレーバーを得る等、クリエーションのレベルが実に楽しいのだ。最終的には、イタリアンで欠かせないリコッタチーズまで、ヴィーガン仕様で作ってしまう。

あ、そのレシピのところは見えないように処理しています。興味ある方は買って読んで下さいネ。


考えてみれば、レストランで「チーズを一から作っているんですよ」というケースは極めて少ない。牧場&農園レストランは別だけど、ガストロノミーレストランで、チーズを一から作る部門を持っているところなんてまれだろう。でも、カシューナッツをベースにするのであれば(カシューナッツを自作するところからとなると大変だが、それはさておき)、厨房やラボで作ることができる。それはつまり、生産者から仕入れたものではなく、完全なるFaroオリジナルを世に問うことができるということだ。これこそが、「ヴィーガン料理は可能性の拡張の種だ」という事の本質であるように思われる。本書ではヴィーガンチーズのみならず、これ以降「セロリしょうゆ」といった調味料の自作にも触れられていく。

そんな能田シェフとFaroというチームの思索と試作の結果が、この本には詰まっている。


後半ページは対訳がない日本語オリジナルページとなるが、コース料理の解説で、これも実に濃い。そして、八田さんによる写真が実に美しい。



後半にはパティシエである加藤峰子さんの、あの素晴らしいヴィーガンドルチェの世界もフィーチャーされている。そして驚いたことに、Faroのソムリエであり、むちゃくちゃ手の込んだノンアルコールドリンクを手造りしている桑原さんの作品群の解説ページもあるのだ。これだけで一冊になりそうな要素がちりばめられている。

それにしてもここのところ、デンマークのレストランNomaが、事業が持続可能ではないということでレストラン営業を終了するということをきっかけに、高級レストランを営むと言うことに関してさまざまな議論が交わされている。その議論になにか新しい方向性を示すような知見は僕にはないが、国際的な問題群や世界の経済状況をみるにつけ、この分野の今後が明るいとはどうやっても思えない。ただ、そんな中で資生堂という一流の企業がFaroのような店を営み続けていることには拍手を送りたい。以前、食のサステナビリティをテーマにしたクローズドの勉強会で講師を仰せつかったとき、Faroは「勉強すべきテーマだから」としっかり参画してくれていた。そうした社会的アプローチは、レストラン事業における収支だけでは生まれ得ないだろう。

ヴィーガン料理に関心がない人であっても、能田耕太郎そして資生堂、Faroというチームの思考を学ぶという意味において、本書は読むべき価値のある本だと思う。心からお薦めします。