やまけんの出張食い倒れ日記

変化することを恐れず、変化し続けようと思います。ということで52歳になりました。誕生日はやっぱりちらし寿司!


静かに時は流れる。本日で52歳になりました。妻が昨日からいろいろ具材を揃えて作ってくれたちらし寿司を満喫。ありがとうね。明日は母が3日かけて作ってくれたおでんをいただきます。

ここのところ、コロナ禍で一時期減っていた講演の機会がまた増えている。ここ10年来の僕のテーマである食のエシカルやアニマルウェルフェアの内容だが、うむっ?と思うことがある。

エシカルにしてもアニマルウェルフェアにしても、日本は欧米からみればかなり取り組みが遅れている。まあ、そうした考え方自体が欧米の文化的背景の中で議論されてきたものだから、それは仕方がない。現在は、日本が自分の歴史の中で育んできたエシカル価値観を、欧米のそれと融和させていくというか、欧米の考え方を理解して、取り込むことが要求されている段階だと考える。それができてはじめて、日本や同じアジア・モンスーン地域特有のストーリーを欧米に認めてもらう段階となるのではないか。

しかし、そのためには少なからず変わらなければならないことがあって、それがとても重い負担となる人達もいる。たとえば欧米型のアニマルウェルフェアを採り入れようとすると、日本の採卵鶏で9割以上で使用されているケージ飼いが問題になる。ケージからケージフリー設備に替えるコストはとても大きな負担となる。だから、みなできることなら替えたくない。ケージ以外にもそうしたものが多々存在する。

日本がこれからもガラパゴス的にやっていこうとするならば、変えなくてもよいのかもしれない。けれども日本はこれからまた海外から人に来てもらい、旺盛に消費してもらうことを期待しているはずだ。であれば、やはり世界が向いている方向に自分達も合わせなければならないはずだ。

だから「やれるところからはじめよう」というしかない。一斉に変わることはできないが、アーリーアダプターを可能な限り応援し、社会全体に流れが波及するのをサポートしていく必要がある。

そうしたことを話すのだが、どうも講演後の名刺交換やパネルディスカッションなどで、「ああ、安心しました。やれるところからやればいいんだ、ということですね。」とか「今やっている方向性に間違いはないんだな、ということが確認できました。」と言われることが多いのだ。

いや、そうなんだけど、、、なんとなくそうおっしゃる方々の中に「日本だって昔から、日本型エシカルといえることをしてきたのだから、それはそれでいいんだ」というニュアンスを感じる。でもね、それって結局は、「よかったよかった、昔ながらのガラパゴスでいいんだな」とホッとしているようにしかみえないんですよ。それでは結局、変化がないじゃないですか。

変化は必要なんです。その変化を、できるところからスモールスタートでやろうと言っているのだけど、それって「スモールで終わってよい」ということではないのですよ。2025年にはここまでクリアできるようにしよう。2030年までにはさらにここまでになろう、というように、小さなところから始めて、最後は大きな成果を出さねば意味がない。どうも、そういう考えではなくて「結局、いまのままでいいんですね」と勝手に安心してしまっている方が多いように思う。つい先日もあるシンポでディスカッションした登壇者とDari K丸ノ内オアゾ店のマイカカオラテを飲みながら「ホントにそういう日本人が多すぎ!」と意気投合してしまった。

そこには消費者の行動変容も必要だ。僕自身はそこにはある程度、楽観視をしている。昨年出版した僕の著書「エシカルフード」でも書いているが、社会には「ときどき、エシカル」をする人が7割程度存在する。多くの人が、懐具合があたたかい時は、フェアトレードのチョコレートやコーヒーを買ったり、環境に配慮されていると表示された商品を購入することがあるはずだ。ある人は10回に1回かもしれないし、ある人は5回に1回かもしれない。個々の頻度はそう高くないかもしれない。でも、そうした人達が社会全体の7割程度いる場合、総計すればとてつもない市場になっていることを想像できる。エシカル消費はなにも「毎日、エシカル」な人だけに支えられているわけではないということだ。

しかも、SDGs的世界観を肯定的に、またアプリオリに肌で感じている世代は、20代以下の若者達だ。もはや僕らの世代なんぞ、心の底からの「理解」はできないのだから、そうした人達が「SDGsといったってさあ」とか「エシカル消費なんて、意識高い系だけでしょ」と言うこと自体がナンセンスだと強く思う。我々にわからないだけで、彼らは最初からわかっている。

コオロギなど昆虫食を巡って、にわかに否定的な論が持ち上がっているが、すでに獲得競争が始まっているたんぱく質の未来を考えれば、選択肢の一つとしてあって不思議はないでしょう。なんだか、一つの流れがもてはやされる段階を超えると、いきなり冷や水をかけようとする、これまでとおなじ流れを感じて気持ち悪い。

結局、変化することを許容したくない人達がとても多いということなんだろうな、と思う。できれば「今のままでいいんだ」と言って欲しいのだろう。でも、そんなわけないよなあ。

ということで、52歳の目標としては、変化を恐れず、新しいことをどんどん採り入れる人間になっていきたいと思います。僕の仕事の内容も徐々に変わってきています。数年後に迎える大きな変化に向かって、準備を進めているところ。

あ、いまも2021年夏の「交通事故の後遺症、大丈夫?」と尋ねられることが多いのだけど、右足の腓骨剥離骨折はすでに完治してまして、スクワットもガンガンやっていますので、ご安心を。

今年は、昨年よりはブログを書いていこうと思います。