やまけんの出張食い倒れ日記

あの「農耕と園芸」が休刊となり、長い歴史に幕。連載で大変お世話になりました。

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月刊誌「農耕と園芸」誠文堂新光社刊 は農業界の文藝春秋である。そして農文協の「現代農業」は少年ジャンプである。そう教えてくれたのは、シンクタンクに勤めていた時代にインタビューをした、とある県の普及員だったと思う。

一般書店にも並んでいることの多い「現代農業」を読んだことがある人はけっこういると思う。キャッチーな内容がギッシリで、なかなかに面白い。対して一般書店では置いていないことも多い「農耕と園芸」は主に、各県の普及員の専技クラスの方が、野菜や果物、切り花や鉢花といった農産物の栽培技術について技術公開する記事をメインコンテンツとした誌面作りをしてきた、硬派な雑誌だ。

その農耕と園芸が6月号をもって休刊することになった。そのことを教えてくれたのは、写真の御園さん。ここしばらく編集長に戻っていたというので「なんだよ言ってよ~!」という感じだ。久しぶりに事務所によってくれたので、近著を交換しながらパチリ。

僕はこの農耕と園芸に8年ほど、連載を書いていた。その連載が始まったのはたしか1995年。僕が慶應SFCの大学院修士課程に進み、農業情報の研究を始めるぞというタイミングだった。

当時はまだインターネットが一般に開放されておらず、パソコン通信と呼ばれるクローズドな仕組みに電話回線を通じてアクセスして、文字情報をやりとりするのがネットでのコミュニケーションだった。一方、僕が学んだ慶應SFCでは、入学してすぐにインターネットに接続できる環境に放り込まれる。日本国内にはあまり情報もなかったので、海外の農業系の大学、たとえばカリフォルニア州立大学フレズノ校などにtelnetという通信プロトコルでアクセスし、技術情報を閲覧したり、マーケット情報を見て興奮していた。

大学2年頃だろうか、ベッコアメインターネットやASAHIネットなどのプロバイダーが一般にもインターネット接続を提供しはじめ、日本でもインターネットでのやりとりがはじまるようになった。そこで「これからの時代はインターネットで農業に関する情報がやりとりされるようになる。」と、この分野の研究をすることにしたのだ。

農業情報利用研究会(いまは農業情報学会)という学会に顔を売り、宮崎県で実施された全国大会のお手伝いをした際、当時「農耕と園芸」編集長だった御園さんと出会う。というより、会場で手伝いをしていた僕を観て「面白そうなヤツじゃん」と思ってくれたらしい。

「やまけんくんさあ、うちの雑誌で連載やらない?」

当時、奨学金をもらいながらの生活だったので、原稿料が入ってくるのは魅力的だった。そこで、「俺と畑とインターネット」という連載が始まった。どこまで読者がついてきてくれたか定かでないが、TCPやIPといったインターネットプロトコルの解説や、パソコンをインターネットにつなげる設定(当時はつなげるのがとても大変だったのだ)の解説をしたり、世界の農業情報サイトの紹介をしたりという内容だった。

この頃、同誌はかなり技術志向にある農業関係者に読まれており、各県の農家や普及員からメールをもらうこともしばしばあった。この連載はなんと8年も続いたと記憶している。

連載終了後、編集長だった御園さんも違う部署に異動になるなどあり、疎遠になったが、雑誌デビューは間違いなくこの「農耕と園芸」なのだ。

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「農耕と園芸」は佳い雑誌でした。書く仕事のきっかけを作ってくれた大切な雑誌。休刊は残念だけれども、役割を終えたのだろうか。まだまだ果たすべき役割もあるのではないかと思うけど、いったんお休み下さい。

これまで長年、良質な農業技術情報をありがとうございました。

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農耕と園芸 2024年6月号