日本最高峰の学食は、僕の母校にある。 埼玉県飯能市・自由の森学園の素晴らしい食への取り組みをみていただきたい。

2006年8月22日 from 首都圏


僕が通っていた高校は、埼玉県飯能市にある自由の森学園高等学校という。僕が入学したのは1986年。その頃の点数序列教育花盛りな風潮の中で、自由教育を標榜して生まれた学校だった。同じような名前の自由学園、自由が丘高校などあるが、どれも自由の森より伝統があり、かつ教育方針も全く違うので、混同されないよう。

実は、僕が農業や食というテーマを一生の仕事としていこうという決意は、この自由の森学園で獲得したものだ。

自由の森では校則というものがない。当然、制服もない。そして僕がいた当時から、授業の成績は数値評価ではなく「評価表」という、各教科の先生が文章で評価をするというものだった。授業自体もユニークなものが多く、例えば体育では日本の郷土芸能を採り入れ、岩手県の鬼剣舞(おにけんばい)やさんさ踊りを踊ったり、各地の和太鼓を叩いたりしていた。僕はこれにはまって、太鼓グループを結成し、大学卒業まで叩きまくっていたのだ。その他、美術にはかなり力が入っており、絵画や木工だけではなく染織
(染色と織物)や製本など、通常にはみられないような授業がてんこ盛りだった。最高なのは民族音楽という授業があった(今はない)ことで、僕は高校時代にインド古典音楽の太鼓であるタブラを学んでいたのだ。今から思うと本当にすごい学校だった。

その自由の森学園の校長となった鬼沢さんから、連絡があった。(ちなみに自由の森では生徒は先生のことを”○○さん”と呼ぶことが多い)
鬼沢さんは僕が入学した年に同時に教師として赴任してきた、社会科の先生だ。そして現在はなんと高校の校長なのである!

「あのさぁ、『まなびの森』っていう、自由の森を受験する親御さんや子供にむけたオープンキャンパスがあるんだけど、そこでちょっと話をしてくれないか?」

訊けば昨年はサックスプレーヤーの坂田明さんがきて、ミジンコの話をずーっとした挙げ句に最後にサックスをぶっぱなすという素晴らしい講演をしたそうだ。その翌年に俺じゃあ釣り合いがとれないじゃないかぁ~

「いやでもね。卒業生を呼ぶというのはこれが初めてなんだよ。保護者からみれば卒業生が話をするというのは非常に意義があることだと思うんだよね。だから頼むよ」

確かに、卒業生がいちおう会社を立ち上げて曲がりなりにも食べていけている、ということは、それだけで在校生や新入生の親ごさんには興味のある話かもしれない。僕の食べ物への関心のルーツである自由の森のために貢献できるならば、と思い、引き受けることにした。

8年ぶりくらいに訪れる母校は、やはり遠かった。
西武線飯能駅か、JR八高線の東飯能駅からタクシーで15分山に入っていったところにある。市街地を抜けるともう山。狸や鹿がまだ出没する名栗の地に、自由の森学園はある。坂を上っている時、僕らが入学したての頃に植樹した木々が、うっそうとした立派な”林”になっていることに驚く。
事務室に着くと、鬼沢校長と事務局長の河本さんが迎えてくださった。感無量だ、、、


いろいろ四方山話をしながら、変遷のあった学校内をまわる。
「学校内の一番いい場所」という中学生校舎の前の庭は、昔はなにもない広場だったのだが、いまや巨大なビオトープとなっている。

僕も建設当時はちらっとみた気がするが、まさかこんなにうっそうと植物が茂る環境になるとは、、、生き物も結構ここに生息しているらしく、理科の生物の授業のネタにはことかかないそうだ。

新しく建った美術棟では、自由の森らしい授業である染織の部屋が充実している。

この藍染めはこの日のオープンキャンパスに訪れた父母や子供達が作ったものだそうだ。

こちらはキウイの蔓を描くという授業らしい。

そして自由の森の木工授業。木工部屋には機械がほとんどなく、生徒は手と工具を使って木に向かう。
材料となる木も、製材されたものはほとんど使わない。周辺の木材屋さんなどからいただいた原木などがそのまま材料となる。その結果、平らな材を使ってできるスクエアなものではなく、木の形を活かした椅子や机が量産されるのだ。この椅子たち、とても中高生の授業で作られたものとは思えないではないか。

そして図書室へと向かう。

実は僕はここで図書委員長という役割をしていた時期がある。選書は基本的に司書の大江さんが行うのだが、そこにいろいろ要望を出したり、機関誌を出すためにマガジンハウス社の編集者さんに取材にいったりと、結構アクティブな活動をしていたのだ。久しぶりに図書室の空気を味わったが、僕の著書が並んでない!寄贈することを約束して体育館へ行く。

さて自由の森の一つの象徴ともいえるのが郷土芸能への取り組みだ。
体育館には2尺以上の宮太鼓や桶胴太鼓がごろごろしている。

僕は高校時代、授業後に毎日これを友人達とぶったたいていたのだ。

久しぶりに少し打ってみる。三宅島に伝わる神着木遣り太鼓という演目だ。2分叩いただけで呼吸が荒くなり、バチを握る手がジーンと微振動してくる。やっぱりいいものだ。
和太鼓は世界的にも不思議な楽器だ。鼓面の大きさは最高峰で、しかも打ち込むのに体力が必要だ。西洋の打楽器とは全く違う論理をもった楽器だと思うのだ。

「さてじゃあ昼飯でも食べるかい。ヤマケンが来るから、食堂には何でも何杯でも食べさせろって言ってあるから」

おおおおおおおおおおおおおおおお
やったぜ!

実はここからが本題なのである。
僕は小学校低学年の頃から料理に強い関心を持っていた。母がずーっと買って貯めていた「今日の料理」のテキストを丸暗記するほどに読んでいたのが僕の小学~中学校時代。そして自由の森学園の食堂で、一生を左右する大きな出会いがあったのである。

自由の森学園の食堂は、単なる「学食」ではない。国語科や英語科といった部科と同じ土俵で、「食生活部」というのが存在する。そこで、中学・高校の生徒たちにどんなものを食べさせるかをきちんと議論し、そして日々調理を行っているのである。

創立当初から、可能な限りどのような栽培をしているのかがわかる契約栽培農家さんとの関係を築くか、それを任せることができる卸売業者などと契約をし、野菜や卵、肉などを買う。それだけではなく、最も重要な調味料もきちんとしたもののみを使っている。

だからといって、よくあるオーガニック系レストランのような、食べた気がしないような食事が並ぶわけではない。

通常の定食やカレー、スパゲティなどもある。これらにももちろんきちんとした素材が使われ、調理がなされている。画像の中に見えると思うが、「伝統食」というのがある。これが、アレルギーを持つ子供に配慮した内容になっている、伝統的な食事を再現したものだ。今回これを食べたかったのだが、この日はオープンキャンパスだったので、ないとのこと。いずれ普通の日に来て食べてみたい。在学時は考えたこともなかったが、素性のしれた素材のみを使ってこんな値段(400~500円だ!)で提供するなんて、あり得ない話だ。

さて食堂に入ると、僕の在学時からいるおばちゃんが居たり、直接面識はないけれども、以前フジテレビの「スタメン」に出た際に取材が来たので僕のことを知っている人などが笑って声をかけてくれる。

「あらまあ テレビでみたより太ってないわね!」

と笑われながら列に並ぶ。
この日は学校公認で何でも好きなだけ食べろということなので、遠慮無くメニューをすべていただいた。
豚カツ&ドンブリご飯にカレー&スパゲティである。

実はこの自由の森のカレーは激旨なのである。

手前にはきっちりとチャツネがかかっている。福神漬けも無着色のものだ。そしてカレーのルーも何もかも、全て食生活部の皆さんの手により作られたものなのだ。味も絶品。ちまたに溢れる、オーガニック製品を使っているということが最高価値であるといわんばかりの不味いオーガニックカフェの連中はここで食べてみるべきだ。ただし、日によっては「おお、肉が一杯はいってる!」と思ったら、全部ナスの塊だったということもあるのでご用心(最近は無いのかもしれないが昔はあった)。

この日は豚カツ定食と、若干一般色の強いメニューだったが、肉も可能な限り投薬回数の低いものを選んでいた(と思う。昔と同じであれば。)。ヒカリの中濃ソースで食べる豚カツ、美味しゅうございました。

定食の美味しさはみそ汁で決まる。自由の森の料理には化学調味料は一切入らない。だから天然素材のみで出汁をとっている。きょうび、そんな贅沢な汁を食べられるのはありがたいことだ。生徒諸君、残しちゃダメよ。

この日のもう一品、スパゲティも、自然食品系のケチャップをたっぷり使った甘めのものだが、優しく旨い。全部平らげて腹一杯である。

いやー
久しぶりに自由の森定食を食べた!
講演は夕刻なので、食堂のバックヤードに入って、いろいろと見せてもらうことにした。

「本当に、あのテレビ番組ではやたら食べ過ぎてるから、身体を壊すんじゃないかって心配してたのよ、、、でもまあそんなに不健康そうじゃなくてよかった!」

と笑いながら言うのが泥谷(ひじや)さん。現在の自由の森食堂の母である。ちなみに僕がいた頃の食生活部長は小林節子さんといい、学校の食事関連については避けて通ってはいけない方だ。

「ちょうどいいわ、夜にまた父母の皆さんに出す料理の準備をしてるから、みていらっしゃい」

と招き入れてくれ、食材を一つ一つみせてくれた。通常、食堂で使われている食材なんて、原価率を低くするために通常の市場経由の一般品の野菜だったり、冷凍の精肉類だったりするものだが、ここでは全ての食材から基本調味料まで自慢することができるものばかりなのだ。


ご飯やおにぎりの米。熊本は阿蘇にある、木之内さんという生産者さんのグループで、特別栽培で作ってもらっている契約栽培米だ。

玄米の状態でストックし、都度精米する。むろん玄米ご飯も出してくれる。

そして、最も重用視すべき、基礎調味料。

「砂糖はね、キビ砂糖なの。」


低精製度の、ミネラル分が一杯に詰まった砂糖だ。
塩もミネラルを含んだ塩田系のものを数カ所から取り寄せている。

厨房ではジュワジュワと美味しそうな音を立てて、鶏の唐揚げが揚がっている。

ここで注目すべきは何か?油だ。揚げ物に価格の安いサラダ油を使わない学食なんて、ここだけではないだろうか。安い油は、薬品を使って搾油している。もちろん遺伝子組み換え作物が混入している可能性を否定しきれない。自由の森では、圧搾の菜種油で揚げている。

おそらくこれを読んでも、基礎調味料にあまり関心のない人は「へええ」と思うだけだろう。しかしこの、安いサラダ油と圧搾菜種油の価格差たるやものすごいのだ。こういった見えないところに本当にお金をかけて佳いものを使うことができるかどうかが、本当の「心づくし」というものだと思う。

バックヤードの旅は続く。

「今年もピクルス漬けたのよ~」

と、大量にキュウリを酢漬けにした瓶が並ぶ。

こうした保存食を可能な限り自前で仕込んでいるのも食生活部の特徴だ。
日本で保存食と言えば、、、そう、梅干し。当然ながら、きちんと自分たちで作っている。

「これが今年度の梅干しね。ちょっとまって、こっちが、、、」

と引き出してきたのが、、、

平成16年度の梅干しだ!

きちんと漬けられた梅干しは年数を経るごとに塩分がこなれ、滋養に満ちた食品となる。
最近では調味液にザブンとつけた甘い、保存食にならない梅干しが多いが、いつになったら風向きが変わるのだろうなぁ。

このほか、昆布や魚節などの乾物をみる。馬鹿な質問だとは思いながら一応確認のためにきいてみる。

「化学調味料って使わないんですよね?」

「使うわけないでしょ! ここにはそんなもの一粒もないわよ。」

野菜庫に入る。いまは夏休みで、オープンキャンパスのためだけの食材を調達しているのであまり在庫はない。

全ての箱の産地を確認したが、関東近郊で僕もよく知る、中には取引関係のあった、信頼のおける産地グループのものばかりだ。

肉製品についても同じだ。
ハムやソーセージなど、コストを下げようと思えばいくらでもできるものにも、ちゃんとしたものを使っている。みよ、この美味しくなさそうな色のハムを!
これは撮影時の光のせいではない。亜硝酸塩などの添加物を極力使わないでハムをつくると、こんな色になるのだ。色が悪くても味にはもちろん影響はしない。

こんなハムを使ってサンドイッチを作ってくれていることに、じわっと感謝の念がこみ上げてくる。

しかし!
もっと驚くべきことがある。
以前僕が在籍している時はしていなかったことだが、、、
最近は、なんとパンすらも自家製で焼いているらしいのである!

「そうなのよ天然酵母で毎日焼いてるのよ!」

とこともなげにいう泥谷さん。これが天然酵母だ。

酵母には日本では一般的なホシノ酵母を使っている。
天然の干しブドウ酵母のように連続培養が効かない酵母だが、安定しているし、何より日本人好みの味のパンになりやすい。これを使ってパンを焼いているという。

「あなた、今日はこれお土産に持って帰りなさい」

と一斤(!)いただいて帰った。今朝トーストして食べたが、余分な味の付いていないパンだ。おそらく油脂をほとんど添加せず、酵母と塩だけで焼いていると思われる。通常売られている食パンには信じられないほどの調味料や添加物がぶち込まれていることを考えると、実にプレーンなパン。パン肌のきめ細かさは十分で、発酵技術もかなりのものだと思った。

さんざん色んなものをいただいた後、学校見学にきた父母や子供、そして在校生の親御さんたちにお話しをさせていただいた。90分しゃべり倒したが、どうだっただろうか。

再度、食堂に集まると、オープンキャンパス参加者の夕食の支度がしてあった。なんと宿泊も可能になっている3日間の大イベントなのである。在校生による和太鼓演奏や、岩手県盛岡市周辺のさんさ踊りが繰り広げられる。

そして食堂の皆さんによる心づくしの夕食。本当に心づくし、なのだ。バックヤードをみてきた僕には、一品も無駄にできないなと思い、可能な限り料理を腹に詰め込んだ。


自由の森学園を巡る評価は、よい評価も悪い評価もとにかく極めて振幅が広い。
点数序列による評価をしない自由教育を標榜して、今年で創立以来21年目になるが、荒波に揉まれない時期はなかったといってよい。その教育方針に対して外部からの圧力があったり、父母との対立、ひいては辞めていった教職員との確執など、列挙したらいろいろ出てくる。それだけ「自由」というものをこの国で体現していくのは大変なことなのだ、と思う。

しかし今、自由の森は教育内容的には、ゆったりと成熟した時を刻もうとしているようだ。
僕が入学した二期の頃にいた先生はかなりの数が去られているが、残っている先生方も多い。懐かしく会った皆さんから、現在の自由の森は、教育方針も落ち着いて腰が据わってきた姿だというような感触を、僕は感じた。

僕は、教育を専門としていないから教育についてナニゴトかを言うつもりはない。
しかしはっきり言えるのは、この自由の森以上にレベルの高い中高生の学校食堂は、他にみたことがないということだ(いやあるかもしれない。僕が知らないだけかもしれないので、そこはご容赦)。
食育ブームのこの時期、小学校や幼稚園といった、子供が幼年期を過ごす場での食事に気を遣う事例は増えてきた。塗り箸や塗り椀を使わせる学校給食も増えてきた。

しかし、中高生という、不安定な精神が荒ぶる時期の食も大事だ。事実、自由の森の食堂のご飯を食べ続けることで、荒ぶる心や病んだ身体を治してきたという事例も多い。

そんな自由の森学園に子供をやりたいというお父さんお母さん、ぜひ申し込みの上で見学にいってみてください。11月には公開研究会という、各授業などの内容を対外的に発表するイベントが開催されるはずだ。

■自由の森学園
http://www.jiyunomori.ac.jp/

そうだ、これを書いておかなければならないだろう。
僕を農と食の道に誘ったのは、実はこの自由の森学園の食堂なのだ。

ある日、キャベツの、千切りではなく葉をざくざくとちぎったものが出たときがあって、それを囓って本当に心の底から驚いた。甘くてジューシーで、鮮烈な香りのするキャベツ。

「このキャベツを作ってる農家さんのところに遊びに行きたいよ小林さん!」

と、当時の食堂長をしていた小林節子さんに言うと、ニコニコしながら彼女は教えてくれた。

「これはね、私の娘夫婦がやっているぽっこわぱ農園っていうところで作っているのよ、紹介してあげるわ」

当時、千葉県にあったぽっこわぱ農園は、佳子さんとフランス人のドニーさん夫婦が拓いた農場だ。2町歩くらいの農地を完全に無農薬無化学肥料で切り盛りしていた。そこに埼玉から自転車で7時間くらいかけて遊びに行ったその日から、農業との関わりが始まったのだ。

だから自由の森学園こそが、僕の農と食の重要なルーツなのである。

この日の特別授業の中で、おそらく理科だとおもうが、なんと熱気球を作って上げていた。

とてつもなく熱い空気の中、さらに熱い空気の塊を得た気球がグワッと空に上っていく。

やっぱり母校はいい。
そして誇ることができる母校を持った僕は幸せだ、と思った。