陽光の国・シチリア食い倒れ見聞記 吹雪からの生還後、ヨニコにて激ウマパスタを食べた!

2005年2月 7日 from 陽光の国 シチリアを行く

生命の危険を感じたモディカ行からの生還を果たし、シラクーサに着くと、雪ではなく雨になっていた。さっきまでの状況が嘘のようだ、、、すっかり喋らなくなったパスクワリーノが、弟のロベルトの店であるヨニコに車を停める。ここで夕食である。一昨日の到着日はピッツァだけだったので、本日が初めてのきちんとした食事である。

席に着き、ふぅーっと息をつくパスクワリーノ。この写真の顔を見てもお分かりの通り、疲労困憊である。無理もない、この日5時間近く車を走らせ、しかもシチリアで初といっていいほどの吹雪の中をチェーンも無しに走ったのだから、、、

「いや、パスクワリーノはタフネスで鳴らした男だったんだけどね。さすがに体力落ちたなぁ」

とキーコが言うが、もういい年なんだから当たり前と言えば当たり前である。おそらく60過ぎてるハズだもんな。

さてヨニコでは無二路で見慣れている前菜が並んでいる。自分で好きなものを取っていくと、やっぱり前菜盛り合わせだけでこんなことになってしまった!
味は無二路で慣れ親しんだ系統。ワシワシと食べる。

さてヨニコにはカメリエーレ(給仕)としてキュートなシチリア女性が一人いた。

初日はちょっと無愛想というか、あまりフレンドリーではなかったのだが、あれはキーコによれば「パスクワリーノやロベルトが僕たちを紹介してなかったからかな。シチリア人は一声かけて仲良くなるとすごくいいんだけど、顔見知りになるまでは堅いんだよ。」ということだった。

この日はかなり仲良しモードに近くなっていたのだが、同行の無二路のパスタ&ドルチェ番であるコバこと小林君は、「あのコと写真取りたいッス」と、目線を送りまくりである。果たして彼はイタリア語で「写真を一緒にとって良いですか?」を言えるのだろうか!?

さてそれはともかく、このあと運ばれてきたパスタが、キーコこと重シェフにとって今回シチリア行のベストディッシュとなったのだ!

麺は手打ちのタリオリーニ。ビアンコ(白)で仕上げてあり、具材は何かの貝のような小さなかけらとイタリアンパセリが絡んでいるだけにみえる。

「なんだろうな、これ」と言いながら一口食べるキーコ。

「うおっ! これは美味しい!」


これは「コッツェ(ムール貝)のタリオリーニ」であった。盛り蕎麦じゃないかと思うくらい素っ気ない外観に反して、一巻き口に入れると、芳醇な海の香りがブワッと花開く。コッツェを白ワインで蒸したものがベースになっているのかと思うけど、その濃厚さ、麺への旨味の辛み方が絶妙だ!

「これはどうやってるんだろう、、、ワインは使ってないかもしれないな、塩茹でしたブロード(スープ)だけかもしれない、、、」

など、キーコとコバが分析に余念がない。

確かにこのパスタ、非常に旨い!僕もマシーンを使った手打ちパスタに凝っていた時期があるのだけど、やはりアルデンテが楽しめる乾麺を使いがち。久しぶりに食べる手打ちのタリオリーニだったが、タリオリーニは手打ちの中では細い麺なので、どういうサルサ(ソース)を絡ませるかはいつも悩むところだ。

しかし今回のコッツェのタリオリーニは確かにこれまで食べた中で一番旨い手打ちパスタと言えるかも知れない。これまでは、数年前に銀座の「エノテカ・ピンキオーリ」で食べたフンギのクリームソースのタリオリーニがNo.1だったが、今回のコッツェでそれは塗り替えられた!

ロベルトが他の席に皿を運んでいるのを呼び止めて、キーコが「どうやって作ってるの???」と質問を飛ばすと、ロベルトがにんまりと笑ってナニゴトかをささやいてチョンと肩口を突いた。

「ははは、『お前はまた盗むのか?』って言われたよ。この店で働いている時、俺のイタリア語も日常的な話題を話すのは辛かったから、プライベートの時もロベルトと二人になったら『あの料理でああするのは何故なんだ?』と訊いてばかりだったんだ。だから、『何で?のキーコ』って呼ばれてたんだよね(笑)」

それでもロベルトは椅子を持ってきて、キーコにこのコッツェのタリオリーニの作り方を伝授していた。

横で訊いていたが、このコッツェのサルサにはかなりの知恵が凝縮されていた。例えば蒸し煮したコッツェを半分ずつにして、半分は煮汁とともにミキサーにかけてクレマ(クリーム)状にして絡めるのだという。そして、肝心の味を決めるあるモノが介在するのだが、それはここでは秘密ということにしておこう。kurakiさん、気になります??

さて キーコがあまり食べないので僕がいつもパスタの半分を食べている。コッツェもそうだったのでもう腹がけっこう一杯なんだけど、こんなのが出てきてしまった!

リコッタチーズをベースにした、小海老のショートパスタだ。パスタは、チョウチョ型をしたアレ(名前しらん)である。

これがまた、例の海老のダシがよーく染み出ていて実に旨い!海老の味がしなければ単調でつまらない味になるところだろうが、全く飽きない。見た目は淡泊だけど、実にコッテリしたペシェ(海の幸)の風味がするのである。

旨いな、と思っていたらパスクワリーノと目が合う。「お前、俺の分も食え」と半分も皿に盛られた!もう腹一杯だー と思っていたら、

「今日はペシェを用意したぞ!」(←想像)

と、いかにもシチリア風の魚の煮込みが出てきた!

どうだろうこの、日本人からするとセンスのない筒切りにした魚。これをトマトとオリーブと大粒ケイパーで煮込んでいる。

「ああ、これがシチリアの普通の魚料理だよ。」byキーコ

ということだ。食べてみるがみたとおりの味である。シチリア料理はやはり基本的には田舎料理なんだよな、と思った。これは悪い意味ではない。日本で煮魚を食べて、「うわっびっくりした!」という体験は、あまりないだろう。だいたい想像がつくというか、冒険ではないはずだ。それと同じで、見た目で味が想像できるという意味で、オリーブとケイパーの風味とトマトの合わさり方が実にシチリアっぽい。郷土の味、と言っていいのだろうと思う。

さて、実はパスクワリーノはペシェを好かない。

「やっぱカルネ(肉)だろカルネ!」(←想像意訳)

といつも肉を食べている。この日も彼はシチリア風の仔牛ステーキを食べている。

子牛肉の上にタマネギのソテー、トマト、チーズなどがかかっていてグリルされている。少し食べさせてもらったが、美味しい。美味しいが、これも郷土料理の範疇だろうな。

「どう、わかった?シチリア料理っていうのは、色んな意味で地味なものなんだよ。だから日本のイタリア料理店でシチリアそのままを出すというのも、けっこう難しいんだ。これをベースにしながら、別の要素を加えていくのがいいんだと思うんだよ。」byキーコ

よーく分かった。

たしかにこれは日本のレストランで一品料理として出すものではない。例えば日本料理の店で「豚のショウガ焼き」とか「野菜炒め」とかは余程の趣向を加えない限り出さないだろう。それと同じようなことだと思う。ヨニコは地元では高い部類のリストランテだが、今回僕らには意識してシチリア料理を出している。おかげで、無二路がシチリア料理を標榜していながら、また違う次元の料理世界を拓いているということがよく分かった。

「これも食べろ!」


うわー また出てきてしまった!さすがの僕でももうはいらんぞ!
でも実はこいつが激ウマ!
茄子のかさねグラタンみたいなやつだけど、茄子とトマト、そしてなんと卵が間にはいっていて、それが実に旨い!

「最初にこれを持ってきてくれぇ~」

という感じだ!
今夜は、あのリコッタと小エビのショートパスタに負けた、、、

いやしかし 堪能した!ヨニコはやっぱり良い店だ。

「ユーロになってみんな景気が悪くなって、外食を手控えるイタリア人が多いから、ヨニコにも一時の活気がないなぁ、、、」

とキーコは心配をしていた。ぜひシチリア・シラクーサを訪れた人は、このヨニコに寄って頂きたい。今回のシチリア編の終わりの記事に、各所の住所等を載せるつもりなのでそれを参考にされたい。もし行ったら、「ヤマケンのWebでみたんだぞ」と言えばいいし、プリントアウトを持参すれば美味しいモノを出してくれるだろう。自分の店に少しでも関係があると思うと、こっちの人は一挙に心を開いてくれること間違いなしなのである。

さて
超満腹になった!
残るはコバの「いっしょに写真撮ってくれますか」の成否である。
結果から言えば見事成功!これがその成果である↓

「おれ、マジ嬉しいッス!」

と喜ぶコバである。

しかしコバ、君はまだまだ甘い、、、

キーコも僕も、お世話になった人にあげるためのお土産を日本から大量に用意してきた。僕は和風の手ぬぐいを持参。ロベルトやパスクワリーノにはもちろんだが、彼女にもあげようと思い、厨房に引っ込んだ時に手渡しに行った。

どちらかと言えば無愛想だった彼女に「プレゼント」と言ってお土産を手渡した瞬間、みるみるうちに彼女の顔が光り輝き、この3日間観たことがなかった最上級の美しい笑顔で僕の手を引き寄せ、イタリア人がよくやる両頬への音だけキス(チュッチュッと音をさせながら頬をつけて、親しみを表すやつ)をしてくれた。

「私に!?本当???とっても嬉しい!貴方は英語話せるの?そう、よかった!ねえ、次はいつ来るの?来年?本当に?本当にまた来てね!」
(↑英語だから想像意訳ではないよ(笑))

思わず「俺も明日からヨニコで働くゾ!」と言ってその身体を抱きしめてしまいそうだったが懸命にこらえた。こらえるのに数十トンの圧力で歯を食いしばりつつロベルトや店に別れを告げた。

そう、実は明日の朝にはシラクーサを発ち、カターニャへ移るのである。パスクワリーノともこれでお別れだ。この3日間、パスクワリーノには本当にお世話になってしまった。彼なしでは、このあまりに濃い3日間は体験できなかったことは間違いない。なんといっても生命の危険まで共有しあったのだから、、、

「ケンズィ!俺が日本にいったらよろしく頼むぞ!」

もちろんだパスクワリーノ!全力で接待申し上げるよ!

そうそうなぜかパスクワリーノは「4月に日本にいくからな!」と勝手に決めてしまっていた。ほんとか?もし本当に4月に来日する場合は、もしかするとどこかの店でフェアをすることになるかもしれない。その場合は告知するので、ぜひパスクワリーノの世界を堪能しにきて頂きたいと思う。

パスクワリーノとも、両頬への音だけキスをして別れる。

「さて、明日はカターニャだ!一気に治安も悪くなると思うから、気を引き締めよう!」byキーコ

シラクーサ最後の夜は、モディカからの疲れで泥のようにぐっすりと眠りについたのであった。